Treature
(4)

‡二回生・冬U

「火村はクリスマス、どうするん?」
 十二月を迎えて段々と人の姿がなくなってきた学食の片隅でアリスが聞いた。
「どうするって、別にキリスト教徒じゃないから、何もしないが」
「違うって。彼女とデートとかないんかってこと」
「お前な。こんなに一緒にいて俺に彼女がいるかどうかぐらいわかるだろう?」
「うん。そりゃそうやけど。でもこの機会に彼女作ってとか思わへん?」
「興味ないね。大体そんな即席の関係を喜ぶような女、信用できるか?」
「それもそうやな。でも火村もてるのになぁ。うちの学科の女の子たちも、お前の予定知りたがっとったし…」
『しまった!』とでも言うように口を押さえた仕草に質問の意図が読み取れた。
「悪いがアリス。俺は女には興味はない‥とその子達に言っておいてくれるか」
 真面目な顔でそういうと怒っているように見えたらしい。一生懸命言い訳をしてくれる。
「ごめん。でも、別に頼まれたわけやないねん。
偶然、女の子らが火村の話題してたとこにおったから。なんとなく‥。それに俺も興味あったし」
 言葉尻を捕らえて、さらりと加えてみる。
「何でだ? 何でお前が俺に興味があるわけ?」
「‥え? 別にそんな…」
「ま、俺としちゃその方が嬉しいけどな」
「なんで…?」
「女と過ごすよりアリスと居たいと思ってるってことだけど」
 ちょっとの間をおいて、アリスは笑いだし、
「うまい冗談やなぁ…」と感心したように言ってくれたりする。そうして、ひとしきり笑った後に「あ、そうや。来週の木曜日。泊まってもいい?」などと尋ねられ『本気だ…』と告げるタイミングを逸してしまった火村はコップに残った水で言葉ごと飲み込んだ。
 木曜日。卒業論文の締切日にサークルの追い出しコンパがあるのだそうだ。あの男の。
「追いコンって本当は三月とかなんやろうけど。卒論出したら万年学生卒業して旅にでるって。もう英都にも来ないって言ってはるから。とっつかまえてしっかり追い出しすることにしてん」
「淋しくなるだろう」
「うん。でも、先輩らしい生き方やと思うし」
 告げるアリスには迷いがない。
「そうか‥。しっかりお礼しておけよ」
 今までお前を守ってくれたその存在に。多分、二度と姿を見せる気はないのだろうから。

 本当にしっかり、とことん飲み明かしたらしく、木曜日、いや、金曜日の未明になってようやくアリスは火村の部屋にたどりついた。正確には、かつぎこまれたというのか。
『あ、火村ぁ、近くやと思うねんけど…迷ったみたいやねん。わからんから‥学校の近くの公園のとこに戻ってんけど…‥』
 へろへろの声で電話をしてきたアリスを探しにいった火村に拾われてきたわけだ。
 差し出された水を飲み干すと布団に倒れこむ。
 ごめんだの、ありがとうだの…うにゃうにゃと言っているうちに寝てしまったようだ。
「アリス?」
 返事がないのを確認してからカーテンを少し開けるのがもう習慣になってしまっている。そして、薄く照らされたアリスを見つめるのが…。
 いつものようにそっと近寄るとあろうことにアリスが呟く。
「先輩がな…火村によろしくって」
「え?」
 気がついているのか、夢の中なのか…。
「もう、火村がいるから大丈夫やって…」
「そうか」
「ちゃんと、甘えとけって…」
「あぁ」
「‥しっかり‥愛してもらえって…」
 その言葉の意味をわかってるのか‥素直に伝言を伝えるアリスを思わず火村は抱きしめる。
「…大丈夫…愛してるから…」
「うん」
「ずっと傍にいるから」
「うん」
 あやすように言い聞かせる腕の中で、いつしかアリスは寝息をたて始めている。天使の寝顔に微笑みかけてその唇から何度目かのキスを盗む。
「どうせ何も憶えちゃいないんだろうがな…」

 予想どおり、目覚めたアリスはなおもボーッとしていた。色々と聞いていくと公衆電話で電話をした後の事は思いだせないらしい。
「ショックだね。あんなに熱烈に抱きしめて、告白たのに?」
「な。なに、アホな事!いてっ」
 その上、ひどい二日酔いで声を出しただけでも頭に響くらしい。
「ほら、薬。全く、どんなに飲んだか知らないけど急性アルコール中毒にならなくてよかったよな。はい、コップかして。さぁ。もう一眠りしとくんだな。今日は用事ないんだろう」
 相変わらず口は悪いが、日頃の火村を知る他の誰かが見たら卒倒しそうなほどの甲斐甲斐しさで世話をやいてくれる。
 階段を降りていく足音を聞きながら、アリスは思わず呟いた。
「ホンマ…甘やかしすぎや…火村」
 忘れてなどいない。
 あの優しい声も。抱き寄せる力強さも。暖かいぬくもりも。熱い告白も。燃えるような唇も…。
 全部。全部、憶えている。
「どうしよう……俺…」
 火村とキスをした。それは不自然な事のはずなのに。全く違和感を感じない‥。気持ち悪いとも思わない。それって一体?
「わからへん」
 考えたいことは山ほどあったけど、激しい頭痛とほどなく襲ってきた睡魔の前では無意味だった。

 ぎこちない。そんな言葉がぴったりのアリスの行動に焦れながら何日かが過ぎた。
 あの後。一眠りしてすぐに、酔いが醒めたからと大慌てでアリスは帰っていった。大のお気にいりのウリの顔も見ないまま。いつもと違う奇妙な行動に、火村は自分の誤解を悟っていた。少しは時間を置いた方がいいかと静観していたのだが。
それから─────
 会えばいつもの通りなにもなかったように話は出来る。ただ『帰りにちょっと火村の所』というのがなくなったくらいで。
 電話をすれば、なんとなく会話は続く。でも、いつもより途切れる時間が多いだけで。
 避けられているわけではないが距離感がある。そんな感覚がつきまとっている。
「無理にとって食おうってわけじゃないんだがなぁ」と、火村は煙と共に愚痴を吐き出す。そんな事が出来るならこれまで何度もチャンスはあった。あの日だって然り。
「まぁ、キスはしたけど…」
 月明かりの中で眠るアリスの白い肌が目に浮かぶ。触れるだけの口づけ…それさえも甘かった…。
 さっきから何度かアリスのもとへ電話をいれてみる
がつながらない。
「まずかったかな。時期が時期だったしな」
 昨日でカレンダーの上で最終の講義が終わって、
大学も冬休みを迎えた。といっても、高校までと違って終業式というけじめがあるわけでもない。
休講、自主休講等などで、いつのまにか休みになっていってるのだ。今度いつ会えるかも定かでない。
「…もう、帰ったか…」
 いつだったか正月の話が出た時に、暮れには実家
に帰ると言っていた気がする。
 そういえば、初詣の約束もしたような…。
 受話器を耳に思い出す。

 アリスがよく来始めた頃。年賀状の申込みがどうしたと三人で話しをした時だ。
「火村は正月はどう過ごすん?」
「別に、家でごろごろしてるだけ」
「家って実家?」
「‥‥ここ。というか、今俺の居場所はここしかないから。言ってなかったか。俺、家族もういないんだ」
「…あ、ごめん。俺…」
 アリスが顔色を無くしかけたとき、すかさずばあちゃんとウリの救いの手が入った。
「あら、私は家族のつもりですけどね。この子も」
「そうでした。ま、ここが俺の家ってことだ」
「‥そうなん」
 なおも沈んだ調子のアリスに救いの手が続く。
「有栖川さんは家に戻りはるの?」
「はい‥まぁ。暮れからちょっとは‥でも、すぐ帰ってくるつもりです」
「そう。じゃ、戻ってきたら火村君と一緒に初詣に行ったら?」という話題でアリスは浮上する。
「あ、いいですね」
「止めてくれよ。面倒くさい」
 この辺りからは、完璧に火村無視での会話。
「せっかく京都に住んでるのにこの人と来たら、去年もどこにも行かずこもってますねん」
「じゃあ、ここは一発おきまりの平安神宮とか」
「冗談。あんな人込みに紛れたくないね」
「じゃあ、静かなとこでもいいやん。この近所にも小さいお寺さんとかありましたよね」
「あぁ、北白川天満宮さんやわ」
「初詣に天満宮なんて行く奴いるかよ」
「なんでもいいやん。この間の古本市の寺でもいいな。あ、そうそう、そういえばあそこ行ったことあるかもしれへんわ」
「え?」
「小さい頃な。母親の知り合いがあの辺におってんて。何回か冬に遊びに来たらしい」
 と、話が飛んで、知恩寺に行ったかも発言に気を取られてしまったけれど…。
 ぼーっと考えながら聞いていた何十回目かのコールに相手の不在を確信して、火村はようやく電話を置いた。