月がとっても青いから−1


 土の匂いがした…。
 意識が戻る瞬間。真っ先に働いたのは嗅覚。

 カサッ カサッ サァー
 耳をくすぐりながら届いた風音が明らかに自分は外に居る事を自覚させる。なんとなく重い体を起こそうとして掴んだ感触は草のようだ。

「「「「どこや、ここ?
 視覚が欲しいと、目を開けた筈なのに何も見えない事に疑問を憶える。
 見渡すかぎり闇世界。今は、夜なんだろうか。
 それにしても、街灯一つないような町など自分の生活範囲にはないはずだ。

 ザワワー 
 一陣の風の冷たさに我が身を抱きしめると腕時計に気づいた。手探りで小さなボタンを探す。微かな光が示す文字盤は10時40分。

 何があったんやろう?
 どうしてこんなところにいるんやろう?
 何をしていたんやったっけ…?
 記憶をたどる。
 えっと‥。今日は「「「「「「「

 梅田に映画を見に行ったんや。
 そこで、偶然、非番の森下さんと出会って。
 一緒に映画を見て。その後…

△△△ 

 期待に違わぬ2時間3分を満喫して映画館を出たのは夕方。ついでに夕食でもと声をかけたアリスに森下が注文してある服をとりにJR京都の伊勢丹に行くと答えたのでそのまま二人で京都まで出向くことにした。
 大阪から京都なんて新快速で三十分。
 電車の中で、申し訳ないと言い続ける森下にアリスは『新京都駅ビルのオープン以来、行けていないから丁度いい機会やし』と笑顔で答える。
 
 そう、ちょうどいい。
 新しもの好きのアリスが、締切りを抱えて話題のビルを見に行けてなかったのは事実。
 でも、それ以上に…火村の事。
 例年、夏は冷房のない下宿を逃れて火村がアリスの元に転がり込んでくるのだが、これからのシーズンは逆。火村の部屋が何より心地よい季節。
 ただこの一週間、ちょっと気まずく別れて以来互いに連絡ないままだ。ささいな事が原因でどっちも折れない意地の張り合いなんてよくある。けど、きっかけさえあったら何もなかったように過ぎていくのも長い付き合いでよくわかっている。
(京都駅に居るんやって迎えにきてもらおうかな。いや、何も言わずに押しかけたった方がいいかな、びっくりするやろなぁ…)等など。
 弾んだ心で浮き浮きしてきたアリスは絶好調。
「ホントに、いい機会や」と繰り返す満面の笑みに、ぼーっと見惚れている森下の視線にも全く気づかないまま。
 食事をしながらも溢れる笑顔の大洪水。
 舌の滑りも好調で、話題も弾む。さすがに同じ映画を見に来ていただけあって話しだすと好きな作品が共通していて「また一緒に観に行きましょう」と、誰かが聞けば血の雨が降りそうな約束を取り交わしたほど。
 一応、森下君の身の安全の為にフォローすると、彼はちゃんと言ったのだ。
「いいんですか? 火村先生に悪いでしょう」と。
「いいですよ。あいつと映画なんて行きませんから。前に行った時、レポートかなんかの後で疲れてたんか知らんけど、人の肩枕にして熟睡したくせに謝らへんかったから、もう止めたんです」
 それってのろけですよ…と心では泣きながらも口には出さずに、火村の『愛の深さ』とアリスの『超鈍感』を敏腕森下刑事は悟った。でも、彼の苦行はまだまだ続く。せっかくだし…と店を替えた後。
 火村は…。火村が…。火村の…。etc…。
 アルコールが入って、さらにパワーアップたアリスの語る愛の物語を延々と聞かされ続けたのだから。もちろんアリスには、惚気ている気は全くないのだけど。
                   (全く、アリスってば罪作りな奴…)
 とにかく、そんなふうな一日をたどってきて、森下と飲んだ所までは思い出した。

 …なんかすごいたくさん話しまくって。
  あの後、どうしたんやったっけ………?



Aに続く
随分、古い原稿を引っ張り出してきました。
初出は『Sweet Dreames』っていう旧サークルPiano tooの本
だから、97年の10月です。
自分の中では毛色の変わった話だと思ってます。