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この島の遺跡をまとめてご紹介します。現地で手に入れた資料に基づいています。殆どの遺跡を訪れましたが、時間の関係と自然現象の関係で訪れていない所もあります。またこの島を訪れることはないと思いますが、またの機会がもしあれば見てみたい所でした。こんな所で遺跡を見て回るのも楽しいです。帰国後色んなサイトを検索するとちゃんとしたのがあるのに気付きました。事前によく調べなかったのが残念です。なお、地図上の丸で囲った番号が遺跡の場所です。
- La Hougue Bie
紀元前4000-3250年頃の遺跡。ヨーロッパの中でも立派な通路付き墓の1つで、十字架の形に作られ、13mの高さの塚に覆われています。塚の上には中世の教会が建っています。Egyptのピラミッドより古いとされています。1924年に発掘され、傍らには考古学博物館があります。ガイド・ツアーも行われています。4月2日-11月5日の毎日10-17時の開館。有料。駐車(無料)スペースもあり。
ガイド・ツアーによると、Jersey島は大昔は今より広く、その後一旦狭くなった後に現在の大きさになったということでした。そんな地質学の話から始まりました。塚が作られ後、18世紀頃にはその上に城も造られていたそうです。現在残っている教会はその一部です。この塚は島で最も高い所で、現在でも変わりません。塚の上からは回りの木々に遮られて余り見晴らしは出来ませんが、その間から西側の海や、北海岸近くにあるBBCの鉄塔が見えました。この高さを利用して、第2次世界大戦時のドイツ軍はこの上に通信塔も立てたということでした。展示室には城が建てられていた時代の絵を垂れ幕に描いてあり、また模型もありました。現在残っている教会は2部屋で、1520年頃に作られたJerusalem教会がその1つで、壁にはうっすらと壁画も残っていました。
石室へは狭くて低い天井を通っていきます。この石室はIrelandのNew
Grange、OrkneyのMaes Howeに次ぐ程の素晴らしいものです。文字・壁画等の痕跡はありませんが、唯一微かに線が描かれている石があります。またNew
Grangeの様な石の器らしき物もあります。中へは出入り自由で、一旦ガイド・ツアーで入って説明を聞いた後、もう一度入って写真を撮ってきました。また、入口の前にはあちこちで発掘された小さな石の遺跡が展示されていて、何だか嬉しくなる眺めでした。
塚の回りにはこのあたりの歴史的な物も展示してありました。中央の庭にはリンゴ粉砕器、ドイツ軍占領時の捕虜の部屋、新石器時代の小屋などです。また、オーディオ・ビジュアル室では塚の成り立ちが10分くらいで上映されています。これを見ると、塚は先ず、石室が作られ、その上に土を被せて作られたとのこと。決して、穴を掘って作ったのではありません。
ここへは観光ポイントを結んで運行しているEasylinkのバス(少々高い)で行きました。St.HelierのWeighbridgeから西海岸へ向かい、お城・動物園を回って戻るルートですが、日曜日とあって人は沢山乗っていました。ところが、動物園で私以外の全員が降りました。この遺跡の次がお城へ戻るルートなので、誰も乗っていないと思って通過され戻ってしまうのではないかと思ったのですが、運転手はちゃんと気付いてくれていて、”La
Hougue Bie!”と教えてくれました。敷地内に入ると受付のおばさんがその日最初の入場者なので色々話しかけてくれました。降り出した雨を心配して、傘を借りることが出来るとも。ガイド・ツアーが始まる頃になると、次第に客(みんな車かチャリ)が増え、ガイドと1対1で説明を受けるという状態にならなかったことにホッとしました(1対1で対応できる自信がないので)。
ここへは遺跡の中でも最初に訪れました。唯一有料なので、それなりの資料があると思ったからです。その思惑も当たって、この後に遺跡を見て回るのにとっても役立ちました。
- La Pouquelay de Faldouöt
紀元前4000-3250年頃の遺跡。珍しく2つの石室を持った通路付きの墓で、中心となる石室は開いている状態で石びつに囲まれています。2つ目は1つの大きな24トンの冠石で覆われています。全体は元々2つの空積み工事で作った壁の低い盛土と直立した石の円で囲まれていました。この場所は1682年に記録があり、1839年と1868年に発掘されました。人間の痕跡は石びつの中で見つかり、焼き物の容器、2つの光沢のある石斧、2つの石のペンダントが石室の中から見つかっています。
La Hougue BieからバスでMont Orgueil Castleへ向かい、城を見学した後、徒歩でこの遺跡に向かいました。最初のバスで案内があるのを見つけていたので、道路沿いに歩けば見つかると思っていたのですが、途中で脇に入るパスを見つけました。一旦そこへ入ったのですが、違う方向に向かっていると勘違いしてまたバス道に戻りました。暫く歩いて、手元の絵地図をもう一度確認すると、先程のパスで良かったことに気付きました。しかも近道です。地図の道路を見間違えていたのです。次のバスの時間までは間に合いますが、余裕が無くなりました。パスを出て暫く歩くと、分かれ道にちゃんと案内があり、その先は間違うことはありませんでした。小さな森の中にこの遺跡を見つけた時はホッとしました。取り敢えず遺跡の回りを2回りして、次のバスに乗るためにすぐに立ち去りました。バスには余裕を持って間に合いましたが、最初にちゃんと道を確認すればこんなに急いだ訪問にならなかったと、反省しています。
- La Motte
17世紀までは半島で、現在はGreen Islandと呼ばれている小島になっている場所にあります。塚の発掘年は明らかになっていませんが、新石器時代中期(紀元前4000年頃)の貝塚があり、18個の石びつ(箱形)の並びはおそらく青銅器時代(紀元前2000年頃)に埋められたと思われます。1911-14年に発掘されました。
島へ渡るには干潮で浜が干上がった時のみです。私が訪れた時には生憎渡ることができなく、対岸から島を眺めるだけになりました。残念ながら遺跡を確認することは出来ませんでした。ガイド・ブックによると、島の向こう側にあるようです。満潮時刻はツーリスト・インフォメーションなどに貼られていますので、確認できます。
- Mont Ubé
紀元前4000-3250年頃の遺跡。元々通路付き墓は内部に4つの小室がありました外側には石の輪があり、低い盛り土で覆われていたと思われています。残念なことに遺跡は1848年に発掘される前に採石によってひどく破壊されました。また、ゴミ捨て場と豚小屋として使われてもいました。内部の小室からは焼けた骨、装飾された陶器類の破片、磨き上げられた石斧、石のペンダント、そしてローマ時代後期の賭博用の破片が見つかっています。
説明板には解説と見取り図がありますが、その図を見た時、内部の小室に気付きました。実物を見落としたか?と思って引き返して確認したのですが、それらしき囲い跡が僅かに1つだけありました。見落としではなかったのです。破壊されたのが残念でたまりません。
Green Islandから真っ直ぐ北に向かうと見つかります。Samare's
Manorという名所の側なので、バスが近くに止まります。St.Helierの町中からも3km程なので歩いてもそんなにかかる訳ではありません。私はGreen
Islandにはバスで行って、この遺跡を回って歩いて帰りました。幹線道路を歩くので先ず、間違わずに戻ることが出来ます。
- Villes-és-Nouaux
列石の墓(紀元前3250-2250年)と石びつがあるストーン・サークル(紀元前2850-2250年)の複合遺跡。列石は長方形の石室で、中は直立した石で取り囲まれ、その石は元々この遺跡を覆っていた長くて低い盛り土の端にあったと思われています。冠石は7つのみが残っています。1869年にS
P OliverとF Porterによって、1883年にBellis
& Cableによって再発掘されました。内部の墓からの出土品は2つの違った時代に使われていたことを示しています。古い層は見つかったのは僅かですが、上部の層には大きな装飾ビーカーと銅石器時代のJerseyボウルの名残がありました。ストーン・サークルは新石器時代後期/銅石器時代のの石びつ付きサークルです。中央の石びつ(箱形)はおそらく人間の遺骨が残っていたと思われますが、1883年にBellis
& Cableが発掘した時には全くの空でした。石びつは元々端に据えられていた石の輪に囲まれて低い盛り土で覆われていました。
火葬された人間の遺骨が入ったおおざっぱに作られた沢山の骨壺が塚の側に埋められていたのが見つかりました。そこには典型的な後期青銅器時代、または初期の鉄器時代(紀元前800-450年の墓があったのです。
St.Helierの中心部から西約2kmのSt. Andrew's
Parkの中にあります。この公園が何処にあるのか地図では見つけられなかったのですが、町の近くに遺跡があるとなっていました。近いので夕方散歩気分で歩いていき、公園に着いた時、この遺跡であることが分かったのです。公園の中にSt.
Andrew Churchがあったのでその公園と分かったのです。囲いがあって遺跡には近づけませんが、邪魔する物はないので、どこからでも眺めることが出来ます。公園を通りがかった人達がチョコチョコ眺めていました。石がやけに赤っぽいのが印象的でした。
- La Table des Marthes
元の形は不明です。大きな御影石の冠石が石室を覆っています(現在は埋まっています)。1850年に発掘。
La Hougue Bieで手に入れた資料にはちゃんと番号が振ってありますが、絵地図には遺跡の印がしてありません。有料の地図には書いてありました。それほど余り大きくなく、案内をする程の物ではないとされているようです。案内板もありませんでしたが、原っぱの中に小高く石が積まれている状態で、何となく分かる程度でした。場所は南西の端で、近くに名物の灯台や塔があるのでバスが止まります。駐車場やカフェもあります。私はここを出発点とし、西海岸沿いに歩いて北海岸まで歩きました。
- La Sergenté
紀元前4500-3250年頃の遺跡。短い通路に続き、空積み式で作った円形の石室があります。元々は持ち送りの屋根があったようです。
通路と石室は、端に置かれた石板を曲線で仕切っていた南西の隅の部分を除いて、御影石の石板が敷かれていました。この場所は1923年の発掘時には盛り土で覆われていました。人間の遺骨は見つからず、焼き物の壺が4つ見つかりました。Channel諸島では持ち送り屋根がある通路付きの墓はここだけで、おそらく島では初期のドルメンと思われます。
上記の遺跡の割に近くにあります。バス道を進んだ後、パスに入ります。このパスが途中で分かれていて、丘の上に登るパスに進まずに小さな岬を回る道を進みました。そして行き着いたのが大きな道路。行き過ぎたのが分かりましたしかし、戻る必要はなく、終点の近くに階段を見つけたので登ってみました。それらしい所に出ましたが、遺跡は見つかりません。ちょっと歩いた所で見回すと、緑色の説明板らしき物が見えました。そちらに歩いていった所で見つけました。この近くには住宅があり、その道の行き止まりが、この遺跡周辺です。路線バスもおそらく近くに止まると思われます。
- Broken & Little Menhir, The Ossuary,
Great Menhir
紀元前2850年頃の遺跡。The Ossuaryは長方形の巨石の石びつで、解体されて残っているのは20片です。Brocken,
Little and Great Menhirsは明らかにOssuaryと関係しています。1920年代に発掘されました。
この遺跡は西海岸の南部に広がる砂丘の中にあります。砂丘の中はあちこち通り道があるのでその中をさまよいながらやっと見つけました。案内もないのです。途中方角を見失って、諦めかけて、小高い所で自分がいる位置を確認している最中にLittle
Menhirを見つけました。近づいた所で、側にThe
Ossuaryを見つけました。もう1つあると、資料の位置関係を確かめて探すと、砂丘のちょっと盛り上がった向こう側に見つけました。この他に、この砂丘周辺にもスタンディング・ストーンもあります。資料にはありませんが、地図にあったのでなんとか探し出して、見つけてきました。
- Les Monts Grantez
紀元前4000-3250年頃の遺跡。1つの石室の横に均整が取れていない石室へ続く通路があります。この構造は盛り土から1912年の発掘前に分かっていました。7人(6人の大人と1人の子供))の骨格がその石室から発見され、全てが隣り合わせに並んでで屈んだ格好をしていました。カサガイの殻、牛・鹿・馬・豚・山羊の骨、そして明るく色づけられた小さく積み上げられた石が見つかりました。他には、変化に富んだ焼き物の壺も見つかっています。その中には小さな入れ物や、穴が開いた浅い皿、石器の一式、螺旋の紡錘がありました。
上記の遺跡を見つけた後にSt. Quen's Bayの海岸沿いを北上しました。遺跡への近道があると、内陸に向かったのは良いのですが、一旦集落に出るとどちらにパスがあるか分からなくなってしまいました。適当に歩いているとお孫さんと散歩していたご婦人に会い、尋ねると、分かりにくいからとパスの入口まで連れて行ってくれました。本当に小さくて、案内もないのでした。側には海岸から内陸に向かう大きな道がありました。素直にこの道路を進めば良かったのに…そのパスを真っ直ぐ上がればいいと聞いたのですが、途中で3方向に分かれます。案内はありません。右に進んで登ったてもそれらしいのはありません。戻って、左側の道を登ってもありません。そこで、別の方向に続いている道を進むと、分かれ道で見かけた集団が真ん中の道を進んで登っていくのが見えました。彼等も遺跡に向かっているようでした。今の道も結局その道に合流しているので進んでみると駐車場がありました。そこにいた人が彼らに付いていけば遺跡にたどり着くと教えてくれました。そして遺跡から回りを見渡すと最初に登った道も遺跡にたどり着くのが分かりました。はっきりした道がなかったので諦めてしまっていたのです。
遺跡は石垣に囲まれていました。中には階段が設けられているので入って良いと思って先の集団が去った後に入りました。遺跡の写真は人が多いと撮りにくいのでゆっくりしたかったのです。石室の中も覗きたかったし。小高い所にあり、回りは360度見渡すことが出来ます。バス道からはちょっと離れています。
- La Pinacle
複数の時代に渡って重要な場所でした。新石器時代(紀元前4800年頃)には斧を作った中心地、銅石器時代(紀元前2850年頃)には屋外の儀式場、ローマ帝国支配下のゴール(ガリア)の時代(西暦200年頃)には寺院となっていました。1930年代に発掘されました。
ここは時間が無くて訪れることが出来ませんでした。上記の砂丘で彷徨い、Les
Monts Grantezまでの道で迷ったおかげで、ここによる時間が無くなったのです。帰りのバスに間に合わなくなるからでしたが、その時点ではEasylinkのみの時間しか確認していませんでした。後で路線バスがもっと遅くまであることが分かり、現地での事前調査を怠ったことを残念に思っています。それが分かっていればここに寄ることが出来ました。写真を見る限り、結構面白そうな所です。名前からすると、近くに(自然の)奇岩もあるのではないかと思われます。
- Dolmen de Géonnais
紀元前4000-3250年頃の遺跡。珍しい石室への通路があります。石室は元々'D'の形をしていましたが、後に長方形に大きく開いた形に広げられました。この場所は最初に1929年に発掘され、1985-1990年の間に再調査されました。この遺跡は多くの石を取っていった採石作業者によってひどく破壊されました。発掘はこれらの石の位置を明らかにし、現在は御影石のブロックで再配置されています。ここからは非常に多くの火打ち用道具、装飾された焼き物の破片や壊れたひき臼が見つかりました。
西海岸北上のウォーキングをここで終えようと思っていたのですが、帰りのバスに間に合うか分かりませんでした。迷わないように大きな道を進んでみると、案外時間もかからなかったので途中でこの遺跡まで行けると思いました。舗装道路が切れた所で案内がありました。遺跡の石は他よりも小さめでしたが、はっきり分かります。路線バスも近くの大きな道を通っているはずです。
この後海岸の崖の上のパスに出ました。途中茂みで道が隠れてしまって、本当にそこで良いのかウロウロしましたが、思い切って突きって見ると、整備されたパスに出ました。その後は迷うことなく進みましたが、1日中色んな道に惑わされた気がしました。
- Le Couperon
紀元前3250-2250年頃の遺跡。直立した石に囲まれた長方形の石室で、回りの石は元々はこの遺跡を覆っていた長くて低い盛り土の縁を形取っていました。この場所は最初の1868年の発掘では上手く行われなくて戻され、1919年に再度行われました。この遺跡の興味深い特徴は現在入口に塊となっている穴が開いた石板です。1919年の修復作業中にここに間違って置かれました。その石は元控えの間から中心の石室を分ける位置にあった物です。火打ち石の破片と焼き物の破片が見つかりました。
北海岸の港Rozelの近くにあるので、その行きのバスに乗り、途中で降ろしてもらおうと運転手に伝えました。言い方が悪かったのかよく分かってもらえませんでしたが、終点まで行っても遠くないので、パスの入口をバスの中から確認して乗っていました。終点で降りて、坂道を上る羽目になりましたが、折り返しのバスが拾ってくれました。パスに入る地点より少し手前でしたがお礼を言って降りました(この分はタダ!)。パスへの案内は遺跡でも地図にある地名でもなかったのですが、間違っていませんでした。パスからもよく分かるので見落としませんが、側にある小屋も目印になりました。横から見ると大して特徴があるようには思えませんでしたが、回ってみると石が4列に並んでいて、中2列に冠石が被さっているというこれまた珍しい物でした。
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