Campbeltown | |
Kintyre半島最大の町。歴史はかなり古く資料によると8000年前まで遡ることが出来るというから、相当なものです。Scotlandでも歴史のある自治都市です。1920年代後は衰退ししましたが、かつてはニシン漁の漁船団の本拠地でした。現在は蟹などの甲殻類がここに陸揚げされます。19世紀には一時期34以上の蒸留所があり、漁師達はこの臭いで家に帰ることが出来たそうです。1886年には町のウィスキーの総生産量は2百万ガロン(約900万リットル)と記録されているそうです。現在蒸留所は2つのみとか。 さすがに大きい町だけに交通量も激しく道を横断するのも苦労しました。ここから北Ireland(Ballycastle)にもフェリーが出ていてタンクトレーラー等が埠頭に並んでいました。 |
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交通 | |
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Campbeltown Cross | ||
十字の部分が円盤系になっている十字架です。1380年にKilkivan(Campbeltownより南西約10km)に置かれたのですが、1650年に現在の場所(Town Hallの外のMarket Cross)に移されました。ツーリスト・インフォメーションのすぐ側にあり嫌でも目に付きます。 | ||
Campbeltown Museum | ||
Kintyre半島の地質学、考古学、そして文化的なものを展示しています。開館は曜日によって異なるので事前にチェックを。無料。奥は図書館になってました。 案内にあった展示物はほんのわずかでした。無料なので期待はしていなかったのですが・・・それより一番大きく場所を取っていたのは半島の向かいになる北IrelandのAntrimの北海岸に関するものでした。地図を見てどの辺りかな?と思ってみていたのですが、何となく聞き覚えのある地名。そこは私が前の年にバスで通り過ぎた所でした。そこでようやくこの半島とAntrimが関係が深いことを思い出した訳です。ついでに観光案内所も頂いてきました。 |
Campbeltown Heritage Centre | ||
Kintyre半島の文化および商業の歴史を興味深く且つイメージがふくらむように展示した博物館です。元はご覧のように教会です。4-10月の月-土曜日が11-17時、日曜日は14-17時の開館。有料。中にはティールームもあります。 入った時は誰も見学していなかったのか私を見て展示室の明かりをつけていました。中は雑然と並べているようでしたが、結構面白い代物もありました。暫くすると男の子と女の子が入ってきて展示物に触ったり。この間の関係者の子供かと思ったらお金を持ってなかったらしく帰りに次に来た時に払ってと言われてました。そして記帳もしていました。男の子はある工場の労働者の記念写真を示して、”この人、僕のおじさん”と言ってました。そんなに古いものではなかったのですね。 |
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Davaar Island | ||
Campbeltownの東に見えるのがこの島です。2日目にこの近くの海岸まで歩けそうだったので行ってみました。途中警戒が厳しそうな埠頭があり・・・それはNATOのものでした。通り過ぎるだけだったので呼び止められることもなく島の向かいのCampbeltown
Lochの入り口まで。そこには白い綺麗な一軒家があり、その先はKilbrannan海峡でした。あいにくお天気が悪く遠くに見えるはずのAilsa
Craigという小島(注)は見えませんでした。(写真左はDavaar Islandの洞窟) |
この湾口で引き返してふと島の辺りを見ると何となく陸続きになっているような・・・そしてその上を2人の人が歩いているように見えたのです。その道の入り口となっている地点に着くと更に人が歩いて渡っていました。何と引き潮になると陸続きになる所だったのです。そして私も歩き、島まで到着。先に渡った人達が見えなく、更にいつまでこの道があるか知らなかったのでその時点で私は引き上げてしまいました(最初の2人が既に引き上げたためそんなに長くいられないと思い込んだためです)。それで町に帰った後に気付いたのはこの島の洞窟の一つにキリストの絵が描かれていて皆はそれを見に行ったらしいことでした。この絵のことは観光案内でちらっとは見ていたのに・・・今もとっても悔しい!思いです。絵は1887年に地元の画家のArchibald
MacKinnonが描いたものです。渡ることができる時間は日によって異なるのでツーリスト・インフォメーションに問い合わせて下さい。道の入り口近くには駐車場もあるので車で近くまで行くことが出来ます。 注:この島は無人島でAddrossan-Brodick(Arran島)間のフェリーからも見たことがあります。帰国後ニュースを見ていたら、Glasgow大学の所有で19世紀にネズミに荒らされたがやっと野鳥保護活動で鳥達(特にパフィン)が島を勝ち取ったありました。 |
Davaar Island Davaar Islandに続く道(島より本土を眺めた所) |
Kintyre半島もここまで来たらやっぱり一番南に行きたい、と言う訳で1日を使って行ってみました。1日を使ったのは見る所が多かった訳でなく、バス(土曜日だった)の時間のためでした。何せ午前中にCampbeltownを出発、帰りは夕方6時のバスが次の便になるのです。バスに乗っている時間は30分程なんですが。これだけあればゆっくり出来たはずですが、生憎の雨風で途中の雨宿りなどもあり少々心残りもありました。 | |
Southend | |
まさにKintyre半島の最南端に位置する村です。家は殆どが幹線道路に並んでいます。その家並みから南にはゴルフ場が広がっていました。西に向かうと今度はキャンプサイトが広がっていて多くのキャンピングカーが留まっていました。この浜辺ではアザラシが来ることもあると宿のご主人が言ってました。道は更に西へと続いていて、終点は”Mull
Of Kintyre”(歌で有名ですが)。さすがにここまでは車でないと無理ですが、地図によると灯台と記念台がある程度です。 4時ぐらいまで浜辺の辺りをウロウロした後、バス停のちょっと手前に素敵なティールームを着く直前に見つけていたのでそこへ。遅い昼食を取るためでしたが、思った以上に心地よくつい長居をしてしまいました。雑貨屋の奥になっていたのですが、出る時に絵はがきを買ったらお店のお兄さんに話しかけられました。最後に”良い旅を”と言われ、外に出たらまた雨。その後はバスが来るまでバス停でまた雨宿り。どうしようもない1日でした。 |
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St. Columba's Footprints | |
ここでなんと言っても有名なのがこの記念物。先に訪れたIona修道院を建てたあのSt.
ColumbaがIrelandからこの地に降り立った時の足跡と言われてます。それからScotlandにキリスト教が広まっていったと言われてます。Scotlandに最初にキリスト教をもたらしたのはSt.
Ninian(422年没)でSanda島(Kintyre半島の南にある小さな島)には今でも教会(廃墟)が残されています。St.
Columbaがこの地にやって来たのが563年という事です。この2つの足跡の間にその”563”という数字が刻まれているのですが、私が訪れた時ははっきり見えませんでした。また、このすぐ側には墓地があるのですがその中にSt.
Columba's教会があると説明板がありました。確かにそれらしきものはあったのですが・・・墓地には自由に入ることが出来ます。 有名な記念物なのでバス停(終点)から西に行くとすぐに案内板が見えます。そこを入って階段を上り・・・最上段に着いてもベンチがあるだけ。かのものは”ここ!”というのが無くて更に奥へ。すると行き止まり。戻って最上段の辺りを見渡すと、その足下の石にありました(入り口は示すけど後は捜して、と言う訳?)。案内書の写真はいつのものか知りませんが、私が見た時は苔がびっしり。たまにはこすり落とすのでしょうか?しかも片方の足跡ははっきりしていません。 ここで一つ疑問。人間の足跡が石に残る?おまけに年号も入っているし。そんな馬鹿なことはあるはずがないので観光案内のパンフをよく読むとこのうちの一つを1856年に地元の石工が刻んだとありました。 |
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Keil House Ruin | |
バス停からSt. Columba's Footprintsの間に見えるのがこの屋敷です。この建物については絵地図にあるだけでどういったものかは分かりません。バス停から近所の農場に入り込む道を進むとこの屋敷の敷地に入ることが出来るようです。同じ絵地図にあった”Stone Cross-decorated”という代物を捜したいためにここに行くことは諦めました(結局その石も見つかりませんでした)。 | |
North Channel | |
Kintyre半島の最南端のこの地からNorth海峡を見ると向こうに陸地が見えます。これが(北)Irelandなのです。お天気が余り良くなくても見えるのです。最短で約19Kmと言われていますから、達者な人は泳いで渡ることができるらしいです。小舟で渡るのも当然大したことはないはずです。3~4世紀にかけてAntrim(北Ireland)からこのKintyreに渡ってきてDalriada王国を作ったと言われてますが、渡るのは当時の技術でもそんなに困難なことではなかったと思えます。 前の年にこのAntrimの海岸沿いのルートをバスで移動した時、丘の上あたりで運転手が”向こうにScotlandが見えますよ”と言っていましたがその地がこのKintyre半島だった訳です。この結びつきを実感するのに2年もかかったことになります(気付くのがちょっと遅い!)。 |