次にOuter Hebridesに行く時は是非St.Kildaへ行こうと思っていました。そのためにはツアーの出発地となるHarris島に滞在するのが時間的に最良と思われました。出発地は港があるLeverburghという村。前回の旅でもNorth
UistからHarris島へ渡った時に通過でしたが、フェリーから上陸した所で雰囲気は知っていました。出発前に宿があるのかと探しましたが、メールでの連絡が出来る所は高いホテルで、B&Bは電話のみ。St.Kildaのツアーを申し込んだ時に聞いてみたのですが、メールではやはり無理でした。ツアーの方は十分に余裕があり、予約はちゃんと出来ました。前の宿泊地で予約するしかないと諦め、Stornowayのツーリスト・インフォメーションで予約を取ってもらったのがBunk
Houseというドミトリー(自炊式相部屋の宿泊所、£15)でした。港はすぐ側でしたが、この形式のところは以前Fort
Williamで宿がなくて飛び込んだユースホステル以来なので、少々不安でしたが、宿を確保する方が先決だったのでここで我慢することにしました。この宿は、ツーリスト・インフォメーションの係のお薦めということで、以前Bunk
Houseという形式の宿がひどかったと聞いた所とは違うことを願っていました。
Stornowayでは、やはり宿のご主人が町まで車で送ってくれました。バスに乗る都合の良い所で降ろしてくれました。そしてバスに乗ると、Tarbertからはツアーになると言われ、ポカーンとしてしまいました。これで4回目のバスのトラブルか…と思いましたが、Leverburghで降ろすからとの話が付いて乗り込みました。この時間でなくても夕方にもう1本バスはあるのですが、それまで荷物を置ける場所がないかも知れないので、早めに宿に行きたかったのです。時刻表を確認すると、土曜日だけのスケジュールで、Stornowayのツーリスト・インフォメーションの係は、その時刻もOKと印をつけていたので、気にしていなかったのです。
Tarbertまでは静かに乗っていました。窓からの景色が海を眺めるようになった途端、Tarbert到着でした。ここで10分の休憩。その後Harris島西海岸への道を進みます。坂を下る前にバスが止まりました。運転手が”写真を撮る人は降りていいよ”と言っていたのですが、誰も降りません。迷っていると、近くに座っていた女性が私に声をかけて説明してくれました。それならば、と降りることに。その女性が運転手に私が降りると声をかけてくれました。その後もバスの状況を彼女は色々説明をしてくれました。どうやら私がカメラバッグを抱えていたので、写真を色々撮りたいのだろうと思って世話を焼いてくれたようです。運転手の説明は分かっていたのですが、彼女が話しかけてくれたので、余計に安心して西海岸の景色を楽しむことが出来ました。その後、Seilebostでもバスを止めて写真撮影が出来ました。この時はかなりの人が降りていました。そして、Tràigh
Iarという海岸では15分の休憩があり、皆砂浜に降りて美しい自然を満喫していました。
バスがLeverburghの港へ向かう分かれ道で止まりました。そしてここで私だけが降ろされました。他はツアーの人達で、その先のSt.Clement's
Churchまで行くのでした。さて、宿を探さなければいけませんが、何とその目の前に宿への案内が出ていました。分かれ道の上に登る道です。そこへ車が2台止まりました。1台が止まったのでもう1台も併せて止まったかと思ったら、後で止まった人が私に声をかけてきました。港でなく(案内を示して)宿までだから近いはずだと言ったのですが、荷物があるので乗せて一緒に探すと言ってくれました。ちょっとした坂を上った所に宿がありました。少しの距離でしたが、助かりました。
Bunk Houseの中に入っても誰もいません。隣の家に家主がいるとのことで行ってみたのですが、返事がありません。暫く中のロビーや表のベンチで待っていたのですが、人が来る気配もありません。そして玄関を入った目の前に6時以降に在宅の表示がありました。このまま待っても仕方ないので、(トランクをロビーに置いて)村の中を回って戻りました。中では、若い男性が掃除をしていました。その彼がここの家主でした。予約をしていたことを告げると、部屋とベッドを示されました。この形式になれていなかったため、食事は台所を自由に使って取れることもうまく出来ずにここに滞在している間は貧食となりました。台所はフル装備だったのに…使ったのは電気ポットと電子レンジくらい。他にも、チャリも貸して貰えたようだったのに、それを活かせなくて残念でした。ただ、St.Kildaツアーの後に塩を被った服をランドリーで洗濯できたのが唯一活かせたことなのかも。
土曜日からの3泊の予定でいました。St.Kildaへのツアーは平日・土曜日のみなので、日曜日は歩き回ることにしていました。月曜日に無事ツアーに行くことが出来れば良かったのですが、お天気がひどくて欠航。ツアーの会社からそんなこともあるので予備に火曜日も予約できると言われ火曜日にも予約を入れていたので、もう1泊しました。宿はもう1泊延ばすことが出来ましたが、よく考えたら4泊とっておいて月曜日にツアーに行ければ1泊をキャンセルする方が良かったのでしょう。幸いベッドが空いていたので宿無しにはなりませんでしたが、今思えばちょっと危なかったです。 St.Kildaを別にしても、この村で2日半過ごし、その間に元々予定していた教会を含めてみてきたものを紹介しておきます。St.Kildaは別ページにしました。 |
|
Leverburgh / An-T-Ob(ゲール語名) | |
LeverburghはHarris島の南端に位置する村です。村は元々Obbe(故にゲール語名ではAn-T-Ob)と言う名前でしたが、後に石鹸王のLeverhulmがDunmoreの伯爵から南Harrisの地所を購入した1920年の12月にLeverburghに変わりました。 現在、村の人口は約200人で、ここ数年多くの若者達が就業の困難からここを離れています。地元の人達が他へ移らないようにLeverburghに仕事のために大きな投資が必要となっています。 村の主な就業には漁業と養殖があります。港の外では12艘までの船が操業していて、その方法はびく/つぼでの釣りで、車エビ、かに、ロブスターの様な種類のものが対象となっています。港地区を彷徨くと、その船が獲物を収穫したところを見ることが出来るかも知れません。 農業は同じように島の生活の主要な収入であり、羊が大半ですが、数人の農家は牛も飼っています。 村にはちょっとした食料品・日用雑貨店とその上に展示コーナーもあるクラフト・ショップ(日曜日は閉店)、郵便局(兼雑貨店)、美容院などもありますが、銀行はありません(キャッシュ・マシンはあり)。港にはレストラン+パブもあります。殆どの家は道路沿いに細長く並んでいます。 交通はStornoway/Tarbertからのバスが平日には数本、土曜日には2本あります。Berneray/North UistからはCalMacのフェリーが1日2往復運行されています。 |
|
Harris Tweed Memorial | |
Harris TweedがPaisley姉妹によって最初に市場化された場所です。 この辺りに1810年頃にPabbay島(Leverburghの西約10km沖にある島)で生まれたMarionとChristine MacLeodの家が廃墟となって残っています。黒顔羊の羊毛から長持ちするHebrideanの服を織る彼女たちの技術が認められ、Harrisの地主でAmhuinnsuidhe城の建設者出あるDunmore卿の未亡人Catherine Herbertによって積極的に奨励されました。彼女は町の流行に見合うようにこの地域の服に改良を加え、PaisleyとAn-T-Obの本土の紡績工場で両方の姉妹そして他の数人の織工には適切な訓練を行いました。世界中に有名なHarris Tweedを商業的に最初に生産したものは1864年にこの紡績工場で時を過ごした彼女たちにちなんで’Paisley Sisters’として販売されました。 到着した日に、投宿も済み、他にすることもなく港を離れて南東の方角に続いている道を歩き出しました。行き止まりはPort Eisgeinという村があります。その道の傍らの草むらの中にちょっとした案内板を見つけました。それがこの記念の説明でした。僅かな石積が残っているだけでしたが、単に歩いていただけなのにこんな所を見つけることが出来て儲けた気がしました。写真は手前の石積が建物跡、向こうに見える綺麗な石積は側に流れる川に架かる橋の欄干です。 この散歩は往復2時間半くらい(休憩を含む)でした。道の終点にはちょっと面白い家(庭の小屋?)があり、そこのおじさんに声をかけられました。その側にRodel行きのフットパスがありました。普段ならこちらを進むかも知れませんが、翌日そのRodelまで行くつもりだったので来た道を戻りました。道からは南側の大小の島々が見えていました。 |
|
St Clement's Church | |
1549年頃のDean Monroの記述によると、Rodelの教会はHarrisのMacLeodによって建てられていました。確かにMonroはDunveganとHarrisのAlexander
MacLeod、他にAlisdair Crotachとして知られている人物のことを言っていて、その人物の墓が南の聖歌隊席に名声のある場所にあります。MacLeodは1545-1547年の間に亡くなりましたが、墓には1538年の日付が刻まれていて、死亡した時には教会の東側に既に完成されていました。死の前に、Alexanderはおそらく息子のWilliamによってクランの首長として成功していたと思われます。息子も1539年に身廊の南側の壁に自身によって墓を作っていました。彼が明らかに1551年9月にはそこに横たわっていました。翼廊の南側の3つ目の墓はMinginishのJohn
MacLeodと考えられています。かれはクランの首長として成功し1557年に亡くなりました。 MonroがRodel教会を"monastery with ane steipill(1つの塔を持つ修道院)"として 記述していますが、そこには修道僧の共同生活-”修道院”はおそらくここでは大きくて重要な教区の教会を示す”minster(修道院付属教会堂)” (monasterium、修道院的な生活)が行われていたという証拠はありません。また、ここに初期にあったケルトの教会にも確かな証拠はありません。実際には紀元99年に殉教した4代目ローマ司教の聖Clementへの献上物はノルマン人の占領以降のものです。教会は設計上は十字架型で、西側に塔があります。聖歌隊席と東の端の高い祭壇を含む聖域は元々木の衝立によって身廊と分けられています。礼拝堂が南北の身廊の側にある聖歌隊席に付け加えられました。教会は建築上一貫性を持っていて、数年に渡って建てられたにもかかわらず、本質上は1520年代から1550年代までのある時期のものです。 1560年の宗教改革は完成後直ぐに教会での礼拝を終わらせるように見えました。墓地は以前としてMacLeodの墓に使われていましたが、18世紀までには教会は屋根が無くなりました。新しい屋根が1784年にBernerayのAlexander MacLeod隊長によって作られましたが、完成後直ぐに火事によって焼け落ちました。そして、身廊に刻まれている1787年に再び修復されました。しかし、1841年には教会は再び荒廃し、Dunmoreの伯爵未亡人によって1873年に一度修復されました。 通年の開館、無料で出入りは自由。 日曜日でも見学できるので、片道約5.5kmの道をテクテク歩きました。日曜日はこれだけなので、急ぐこともなく、また開館時間も気にする必要もありませんでした。11時半近くに教会に到着。そこには見学者が沢山いました。ミニバスツアー出来ていたようです。敷地に入ってゆっくり眺め、そして中へ。外は風が強かったのですが、中は静かでした。中は墓石がある程度で、これと言って他にはありませんが、鄙びた所にある教会の雰囲気は十分でした。塔にも登ることが出来るようなので入ってみると、そこにあったのは梯子でした。途中まで登りましたが、リュックが邪魔してうまく登り切ることが出来ません。その内夫婦が入ってきて旦那様がするすると登っていきました。その後に奥様が続くかと思ったらやはり私と同じく途中で諦めていました。そして上の旦那様に何か上にあるかと聞いたら、単に広間があり、その上にもう一つ梯子を登っても広間だけとの返事でした。屋上にも上がることが出来ないとのこと。その返事で奥様も私も登る必要もないとすごすごと塔を出ました。外に出ると団体さんは引き上げて静かな墓地になっていました。風がきついので休憩しようと風除けになる所を探していたら若い女の子が1人いました。その彼女、実は同じ宿に泊まっている子で、翌日に同じ部屋に移ってきました。休憩は教会を風除けにした所で取りました(中で飲食はダメと思われたので)。 外の墓地にはちょっとした廟がありゆっくり見て回るには十分でした。 |
|
Rodelの他のもの | |
Rodelで教会を見た後直ぐに帰っても日曜日で他は閉まっていて、他に考えつかないので、回りを暫く歩いてみました。
|
|
St Kildaへ |
Harris島の景勝地
西海岸 | |
Stornowayからの移動の日、Tarbertからはツアーバスになっていたので、西海岸の景勝地をゆっくり見せながら、走ってくれました。時には写真を撮るためにバスを止めたり、休憩を取ったりしていました。お天気も素晴らしく良く、良い写真日和でした。 <Seilebost> ここは前回の旅行でも写真を撮るためにバスが止まってくれた所です。今回止まってくれました。私の本の表紙の写真でもあるこの場所は相変わらず壮大で美しい景色を見せてくれました。何回見ても飽きない所でしょう。 近くにキャンプサイトがあったのですが、記憶より離れた所にありました。 |
|
<Horgabost> ここでは15分の休憩で、皆バスを降りて砂浜に繰り出していました。数人は海に浸かったようです。私は波打ち際まで行きました。車の先客さん達は日光浴をしていました。 近くの砂丘の上にはスタンディング・ストーンが見えました。Clach Mhicleoid Standing Stoneという名前が付けられています。また、この先にはScarista Standing Stoneというのもあります。バスからも見えますが、一瞬なので注意していないと見逃します。 |
|
<Scarastabeg> Leverburghに到着する直前でもう1回止まりました。海はTràigh an Taoibh Thuathで干潮時には砂浜が広がる所です。向こうに見える丘はHarris島とは地続きでToe Head(ゲール語名はGoban Tobha)という岬です。写真の向こう側にはRudh 'an Teampullという古い礼拝堂があります。 |
|
東海岸 | |
こちらにはArdbuidhe Cottage Gallery、Harris
Tweed & Knitwear、Isle of Harris
Knitwear
Company、Skoon Art Cafeといったちょっとした見学地がTarbert寄りに並んでいます。バスでは不便と思われます。 月曜日に予定していたSt.Kildaへのツアーは天候が悪くてキャンセルになりました。そこでBunk Houseで過ごすつもりでしたが、時間をもてあましてしまい、それならばバスでどこかへ行けないかと見つけたのが島の東海岸を回ってTarbertまで行くルートでした。地図で見ても東海岸は西海岸と全く違う地形をしています。また前日にちょっとだけ眺めたこともあり、暇に任せて行きました。 バスは先ずRodelのSt Clement教会で暫く止まりました。見学のためですが、私は前日見たのでそのまま中にいました。その間に運転手はLeverburgh-Tarbert間の往復切符を作ってくれました。途中、何とかデジカメで写真を撮っていたのですが、お天気が更にひどくなり、写真は諦めました。バスは入り組んだ海岸の道を進むので、かなり揺れます。他の乗客は降りていき、男の子が途中で乗ってきて、終点のTarbertではこの子と2人だけになっていました。このルートがかなり疲れてしまい、帰りは往復切符でも西ルートに乗ることができました。 |