貝塚線(Kaidsuka Line)
貝塚線の前身は、博多湾鉄道汽船が建設した宮地岳線(1067mm軌間)である。
そのうち、新博多―競輪場前3.8kmが市内線に繰り入れられる事になり、
1954-3-5 同区間は、改軌(1067mm→1435mm)、降圧(1500V→600V)された。
(1979-2-1に、貝塚線は廃止された。)
その他の諸線(Other lines)
新博多(Shin-Hakata)
貝塚線は、循環線新博多から分岐する。
「新博多」停留所は、後に、「千鳥橋」と改称された。
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新博多―1963-1-26
金平方向。新博多―貝塚は専用軌道である。
貝塚(Kaidsuka)
市内線に繰り入れたれた当時は、「競輪場前」だったが、後に「貝塚」と改称された。
貝塚で、西鉄宮地岳線と連絡している。(2007年に宮地岳線は貝塚線と改称。「貝塚線」の名前が復活した。)
貝塚―1963-1-26
電車は25系統貝塚行き508である。右に九州大学がある。
残雪がある。1963年は、全国的に降雪が多く、「昭和38年豪雪」と呼ばれた。
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貝塚―箱崎松原方向。
左は1963-1-26撮影。
左から3番線、2番線、1番線で、おのおのに出発信号機がある。
左の木立は九州大学の構内である。
右は1976-5-27撮影。
ポイント操作器の位置が移っている。また、踏切に警報機が設置されている。
貝塚―1976-5-27
循環線、貝塚線、吉塚線だけになってしまった時代の貝塚駅。
左の写真:左から1番線、2番線、3番線。突き当たりに宮地岳線の乗り場がある。
左(2番線)は、天神回り貝塚行き604(1954年製造)、
右(3番線)は、博多駅回り貝塚行き598(1950年製造)である。
右の写真;左から3番線、2番線、1番線。
左(3番線)は、博多駅回り貝塚行き598、右(2番線)は、天神回り貝塚行き604である。
吉塚線(Yoshidsuka Line)
吉塚線は、循環線千代町から分岐している。
国鉄吉塚駅から博多築港駅まで、貨物列車が運行されていたので、複軌間(1435mm+1067mm)になっている。
(1979-2-11 吉塚線廃止)
吉塚駅前(Yoshidsukaekimaë)(Yoshidsuka Station)
貨物線と連絡している。
呉服町線(Gofukumachi Line)
貫線の呉服町〜循環線の博多駅前が呉服町線である。。
博多駅前は、後に「馬場新町」、そして「祇園町」と改称された。
(1975-11-2 呉服町線は廃止された。)
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呉服町(Gofukumachi)
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博多駅前(Hakataekimaë)(Hakata Station)
1963-11-30までは、博多駅は、新堀町にあった。
現在の、地下鉄祇園駅東南、大博通り/朝日生命ビル〜大博多ビルの辺りである。
写真は、その当時のもの。
博多駅移転後は、ここは「馬場新町」と改称され、更に後に「祇園町」と改称された。
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城南線(Jonan Line)
循環線の渡辺通一丁目から、福岡城址の南方を通って、貫線の西新町に至る線である。
城東橋停留所の東で、鉄道線の西鉄・大牟田線(薬院駅南側)と平面交差している。
(1975-11-2 城南線は廃止された。)
渡辺通一丁目(Watanabedori-Itchome)
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六本松(Roppommatsu)
西新町(Nishijinmachi)
西新町付近は、福岡市西部の商店街となっている。
停留所名は、後に「西新」と改称された。
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