唐戸(Karato)
唐戸は下関市の中心地である。市役所、商店街、魚市場、唐戸桟橋などがある。
市内線が長関線から分岐する。
「唐戸」は、唐、つまり外国への門という意味と思われる。1906〜1941年の間は、唐戸に、英国領事館があった。

市内線(唐戸―東下関駅)
今は無き山陽電気軌道の軌道風景(1959〜1963年)
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©T.O.

唐戸:西ノ端方向―1962-6-24

唐戸:西ノ端側から―1962-7-1
向こうの山は九州(門司市)である。

西ノ端(Nishinohashi)

西ノ端―1962-6-17
左:唐戸方向。右側、広島相互銀行()の位置には、かつて上山文英堂(書店が)あった。
  薄幸の童謡作家、金子みすず(1903〜1930)は、ここで店番をしていた事がある。
  遠くの山は九州(門司市)である。
右:新町一丁目方向。

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新町一丁目(Simmachi-Itchome)
道の中央に川が流れており、軌道は、川を挟んで、敷設されている。

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新町一丁目―1962-6-17
左:西ノ端方向。  右:新町三丁目方向。

新町三丁目(Shimmachi-Sanchome)
道の中央に川が流れており、軌道は、川を挟んで、敷設されている。

新町三丁目―1962-6-17
左:新町一丁目方向。線路は東駅へ行くものである。
右:新町四丁目方向。線路は唐戸へ行くものである。
乗り場は川側にある。つまり、右側扉が乗降側になっている。

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新町四丁目(Shimmachi-Yonchome)
関門国道トンネルに至る道が分岐している。

軌道廃止後

新町四丁目から関門トンネルに至る道
左は、1962-6-17の撮影で、軌道は、左が新町四丁目側、右が新町三丁目側である。
突き当たりの椋野トンネルをくぐると、関門国道トンネルのインターチェンジがある。
右は、軌道廃止後の1990-9-29の撮影。交差点に歩道橋が出来ている。自動車の通行量が非常に多くなっている。

新町四丁目―1962-6-17
左:新町三丁目方向。
右:山の口方向。電車は200形である。

200形:1930〜1936年製造で、山電最初のボギー車。

私の亡母の実家は、新町五丁目にあった。私は母の実家で誕生した。
その家は、1996年にも存在していると、当時生存していた母から聞いたが、どの家かよくわからない。(1941年に訪れた記憶はあるが…
)

軌道廃止後

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新町四丁目〜山ノ口間(新町五丁目)
左は、1959-7-8の撮影。私の亡母の実家は、右側の家々のどれかだと思う。
尚、1941年には、左に営所があり、その門に衛兵が立っていた。
右は、軌道廃止後の1988-4-26の撮影で、道には、中央分離帯が設けられている。丘の上に日新中学校がある。

山の口(Yamanokuchi)
唐戸から緩やかな坂を上って来た。この辺りが峠(標高20m余)になる。

山の口―1962-6-17
左:新町四丁目方向。下り坂である。
右:東下関駅方向。電車は彦島口行きモ501である。

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