Dublin

1990/7/1(sun)~7/4(wed)

Killarneyから朝8時36分の列車に乗りMallowで乗り換え。この乗り換えの列車はほぼ満員の状態でした。喫煙車両まで探したところでやっと1席見つけました。煙たいけど長時間の乗車では立つわけにいかなくて、我慢することに。幸い、隣の席はフィリピンから来たシスターだったので助かりました。同じく初めてのアイルランド旅行で、途中のKildarで降りるとかでしたが、当の列車が止まらないとか。このことでは私は助けにはなりません。私が持っていたRamblerTicketを見て最初は高いと言っていましたが、よく考えたら自分は”シスター料金”で買ったから一般の3分の1の乗車料金だったとか。こんなのあり? この時の列車が混んでいた理由が後で分かりました。
Dublin到着後タクシーでKillarneyで確保した宿へ直行しました。”戻ってきた”という感じです。

Dublinでの出来事
1990年7月1日午後 アイルランド銀行前
Dublinに戻ってきたこの日、ひとしきりLiffey川の南側を回った後宿へ戻ろうとすると行く道どこにも大勢の人。どうやっても抜けることができない。アイルランド銀行が見える所まで辿り着くと、フリーコンサートをやっていました。そしてやっとこの群衆がワールドカップのアイルランド代表を出迎えていることに気付きました。この年初めてのワールド・カップ出場(後で知った)で一次戦を通過し本戦に進んだものの、前日それまでも一度も勝ったことがないイタリアに負けてしまい帰国したのでした。しかし、アイルランドの人皆が彼等を歓迎し出迎えていたのです。この時期は旅行シーズンでもあり、大勢のイタリア人もいたのですが、全く問題は起こらなかったようです。その後滞在したロンドンではドイツに負けたイングランドのファンが腹いせにドイツ人が経営する商店が襲われたというニュースを見ました。
フリーコンサートが終わって暫くすると選手団の一人(監督?)が挨拶したようでした。その後当時の首相ホーヒー氏が挨拶。これが大ブーイング。群衆は「ジャックを出せ!」と叫んでいました。実はこのことは全く知識がなかったのですが、側にいた留学生らしき2人の男性を引き連れていた初老の男性(大学の先生?)が説明しているのをたまたま聞いたのでブーイングの対象になった人が首相で”ジャック”さんが監督であることを知ったのです。この夜のBBCテレビではこの群衆は約2万人と言っていました。そして「この日ジャック・カールトンは真のアイルランド人になった」と言っていましたが、この意味を知ったのは4年後のワールド・カップの時でした。ワールド・カップのNHKの特集でジャック・カールトン氏がかつてのイングランドの名プレーヤーとの説明があったのでした。
ホーヒー首相の挨拶後、暫くすると2階建てのオープン・デッカーに乗った選手と監督が目の前を過ぎていきました。これで群衆も解散し始めました。そこでやっと私は宿へたどり着くことができました。また大勢の人は騒いでいましたが、騒動にはならなかったと思います。宿に着くと夜11時近くになっていました。10時近くまで明るかったのでこんな時間とは思いませんでした。
フリーコンサート
1990/7/1フリーコンサートでは何組かのミュージシャンがやっていたようですが、最後にやった男性シンガーがいまだに誰かはっきり分かりません。(その前にやっていたのも知っているわけではないのですが) 有名な人のようでしたが、回りはオーバーヒートしているようで聞くに聞けませんでした。よく知っている"Bye Bye Love"や"Sweet Caroline"(この頃よくラジオで流れていたよう)もレパートリーにしている人。翌日当たりをつけてDaniel O'Donnelを買ってきたのですが、そうでもなさそうな・・・どなたか御存知の方、教えて下さい。
この時のアイルランド代表の応援歌"Put'em Under Pressure"(Son Records BUACD 901)がアイルランドのシングル・チャートNo.1でした。ラジオでも毎日と言っていいほどかかっていました。記念に買ってきました。クレジットを見るとプロデュースがMullen, Woods/Donnellyとなっています。MullenはLarry Mullen Jr.のことのようでIslands Recordsとなっていますから、あのU2のドラマーなのです。他に、イントロの"Ole, Ole"と歌っているのがClannadのMaire Brennan、パイプ奏者のDavy Spillaneも参加しています。ミュージシャン名がRepublic of Ireland Football Squadとなっています。(メインのコーラスは選手本人達がやってるの?) 歯切れのいいロックになっています。

Dublin市内巡り
Trinity College Library
町中にでーんと広がる大学が観光名所になっているというのも珍しいのですが、ここにはアイルランド最古の書物の"The Book of Kells"(「ケルズの書」)があるというので訪れました。大学構内は誰でも自由に出入りができるので、色んな人がいました。もっとも入ったのが日曜日のせいもあるので、学生の姿は殆どありませんでした。構内のあちらこちらにはオブジェも展示されていて芸術的なところもあるのを示していたようです。
この書物があるのが図書館というわけです。標識に従って入り口を入ると受付で説明用のイヤホン(耳に当てるだけ、受信機になっている)を貸してくれました。イヤホンで聞こえる声のは少々不明瞭で結局殆ど使いませんでした。問題の書物まで進むと綺麗な装飾がされていました。毎日表示されているページが変わるそうです。
更に奥へ進むと初期のアイルランド・ハープが展示されています。何となく存在感が感じられるものでした。更に一番奥には1916年のイースターにGPO(General Post Office)で読み上げられたアイルランド宣言が展示されていました。これはコピーで現存する何枚かの1枚だそうです。
これらの展示物もさることながら一番印象に残ったのがこの図書館自体でした。アーチ型の通路の両側に書架がコンパートメント形式に並び、その書架には下から天井までの2階建ての高さに本がずらり。映画にでも出てきそうな雰囲気です。現在は見学のみで図書館としての機能はありませんが、一見の価値はありそうな気がしました。この部屋をThe Long Roomと言うそうです。長さは209フィート(約65m)あるそうです。
Trinity College
Trinity Collegeの構内;正面玄関を入ったところ
National Gallery
日曜日に開いている所と言えば博物館、美術館でこの時は美術館に入ってみました。帰国時の飛行機で博物館の方で「ワーク・オブ・エンジェルズ展」というケルト文化にちなんだ特別展をやっていたのを知りとても残念に思いました。
国立美術館に入って、その所蔵画にビックリ。こんな所にこんな絵が・・・そして、中央のホールを見上げると壁画がありました。あまりのすごさに暫く見とれていました。他も見て回りましたが、もう一度見たかったので戻った程でした。アイルランドに因んだ画家の絵もありました。絵や画家には詳しくはないし、絵心もないにもかかわらず感動してしまいました。あまり興味がない方でも、一目でも見て欲しいと思う所でした。
General Post Office Dublin Castle
大学の他に郵便局も名所になっています。ここはアイルランド共和国の独立運動の中心になった所で、またTrinity College Libraryで見たアイルランド宣言が行われた場所でもあります。局内にそのモニュメントもありました。そこは普通の郵便業務をやっている所なので写真を撮るとひんしゅくを買いそうなのでやめました。手紙を出したい時は一石二鳥の訪問? O'Connel Streetから見る外観も立派なものでした。
Dublin Castle
Dublinにもお城がある!と思って行っては見たけど、がっくりするような所。しかも守衛に「次に開くのは来週の月曜」と言われ更にがっくり。その日は火曜日。次に開く時には日本へ帰っているのですから。こんなものか・・・と一目見るくらいで良いのではないかと思われます。参考のために写真をつけています。お城は丸い当の部分、左にくっついているのは教会です。
St. Patrick's Cathedral St. Patrick's Cathedral
Dublin Castleを少し南西に向かうとこの聖堂が現れます。全体が綺麗な形をしていました。この回りも綺麗に整えられた庭が広がっていました。
聖堂の中はどこも同じく神聖な場所というのが感じられます。ここには「ガリバー旅行記」のJonathan Swiftのデスマスクがあるので有名。そのせいか観光客も多いようです。
Christ Church
外観は1875年に裕福なDublinウィスキー醸造所の費用で贅沢且つ華麗なものに修復されたとか。正面には1230年に建てられた会議場が残っているそうです。聖堂の下の地下室には1172年に遡る最も古い部分があるそうです。
St. Patrick's Cathedralから町に向かう途中に道路の向こう側に見えていたのですが、適当な横断歩道が無くその道には車がひっきりなしに走っていて渡ることができずにいました。結局、向かい側から眺めるだけになってしまいました。


Dublin近郊
Rambler Ticketがまだ残っていたので列車で近郊へ。その中でも是非訪れたいと思っていたのが古代の墓とされているNewgrangeでした。11時発のBelfast行きの特急列車のホームの表示を待っていると突然"CANCEL"の表示。慌てて窓口に行くとDrogheda行きの列車(Dublin郊外線)があると教えて貰ったのでそのホームへ。Drogheda到着の予定が2時間も狂ってしまいました。町へ着くとよく分からないので近くの旅行社に聞いてしまいました。そこで聞いたのはツーリスト・インフォメーションの場所。そこへ向かっているとすぐ近くを歩いていたおじさんが「ツーリスト・インフォメーションはあそこ」と勝手に教えてくれました。親切・・・外見から旅行者とは分かるもののそこまで言う? 情報を仕入れ、レンタサイクルができるお店に。ここでは身分証(私の場合はパスポート)を預かっていました。
Newgrange
Newgrangeは近年に発掘され修復された新石器時代の墓で、ヨーロッパでもとりわけ注目の先史時代のモニュメントの一つとされています。紀元前4千年のある時期に石と木材の技術だけを持つ人々(現地のガイドはStone Henge Peopleと言っていました)が造ったと言われています。古墳は川の砂礫と粘土質の芝が敷かれ、97個の大きな縁石で囲まれていて、中央には19mの通路がある天井が石受けで造られた石室があります。
the front stone of Newgrangeここではガイドが付きます。入り口にある石(写真右)は不思議な渦巻きの文様が刻まれていました。この石の土に隠れた部分を掘ったところ、土に隠れた部分には何も刻まれていなかったことに研究者達は驚いたとか。理由ははっきり分からないらしいとか。
石室の中ではStone Hengeと同じように通路が冬至の日の出の光が指す方向と一致しているので、懐中電灯でこんなに日が射すという説明をしてくれました。その前に真っ暗にするのでビックリしますが・・・石室の中には使用目的がはっきりしない水受けのようなもの(写真右下)などがありました。また天井や壁には入り口にあった石と同じ文様が刻んでありました。とても不思議な所です。
ところで、ここを訪れた時期は大阪で丁度花博が行われていたのですが、アイルランドからも展示がありました。その展示場の入り口はこのNewgrangeを模したものでした。ここを訪れる前に一度花博に行って見てきて、是非本物をと思って見に行きました。そして帰国後もう一度花博の展示を見に行くと・・・何となく迫力がないと思ってしまいました。花博終了後もまだこの展示は残されていますので、近くに行かれた方は参考のために見てみて下さい。
Newgrange
Newgrangeの全体の眺め;人が集まっている所が入り口、その右にstanding stonesがある
a dish of Newgrange's Chamber
KnowthとDowth
Newgrange近くには同じ様な古墳のKnowthとDowthがあります。
Knowthは発掘調査はされているものの一般公開はされていないそうです。回りには16個の墓があり、大きな通路と石室が2つあり片方は西をもう一方は東を向いているそうです。最近の興味ある発見は通路のいくつかの石に人間の形をしたデザインが彫られていたと言うことです。
DowthはNewgrangeより大きな通路がありにしに向いた2つのあまり大きくはない石室があるとか。最近は発掘は行われていなのですが、残念なことに19世紀の破壊的なアマチュアの考古学者が台無しにしてしまったとか。
Slane Castle
Slane Castle借りた自転車を戻す時間は十分でなかったのですが、少々の時間が取れるようだったので美しいと聞いていたこのお城を見に行きました。本当に見るためだけで、すぐにDroghedaへ引き返すことになりました。(これも特急列車がキャンセルされたせい!) このお城はU2の"Unforgettable Fire"の録音でも知られることとなったのです。プロモーション・ビデオにも登場していますので御存知の方も多いと思います。
現在の建物の隣も所有していたFlemingsのConynghamの後継者によって建てられました。初期の領主はBurton Conynghamで、彼はアマチュアの考古学者(スペインのローマ時代のTarragonaを最初に発掘した)でもあったそうで、James Wyattに1786年計画を委任したと言うことです。お城はBoyneを見渡すことができる場所に建っていてNavan-Slane間の道のBaronstownの交差点から丁度、丘の下を見下ろす形で門を通して見ることができます。また、すぐそばの村からもよく見えるそうです。静かな森を背後に控えて建っているのが目に焼き付いています。
The Boyne Valley
DroghedaからNewgrangeまでのサイクリングで通った美しい所でした。時間があれば・・・写真さえありません。ここは17世紀後期に戦争があった所で、今ではそんなことも感じられないほど美しい谷となっています。古戦場後もあるそうなので観光名所でもあるとか。私にはピクニック・エリアとしか思えませんでした。なお、帰りは時間を節約するためにこの北を走る国道N51を走っていました。
Drogheda
Boyne川の河口にある町で、交通の要所でもあるようです。町は歴史的にも古く、丘の上には9世紀頃のデーン人が建てたと言われるMillmmountの塔を見ることができます。ここでもあまり時間がなかったので見上げるだけになってしまいました。町全体は港と工業の町という感じでした。特にBoyne川(ここまでくるとどこにである普通の川でした)に架かる鉄橋が芸術的なものを思わせました。また、資料にもありましたが町のあちらこちらに教会が見られるのも不思議でした。

Dublin市内を一巡りしたところで半日で行くことができる場所を探したら、ありました。列車で30分くらいかな・・・前日のDrogheda行きでおおよその場所も分かっていたのでためらうことなく出かけました。
Malahide Castle & Gardens
Malahide CastleMalahideの駅で逆方向(山側)に歩いてしまいお城に辿り着くのが遅くなりましたが、無事に見学できました。まさか線路と海岸の間にお城があるなんて思いもしなかったものですから。
1185年から1976年までアングロ・アイリッシュのTalbot家の所有のもので、家具も整えられています。大ホールだけがこの国のオリジナルな形式のものとか。
お城はきちんと整備された感じがしました。入り口で入場料を払うと、日本語の説明書を渡されました(出口で返す)。「前にイタリア人の団体がいるけど彼等は部屋に備えてあるテープで説明を聞いているけど一緒に入っても良いよ」と言われましたが、ゆっくり見たかったので団体が次の部屋に移った後で部屋に入っていました。私の直後は現地の2人の女の子(この日の最後の入場者)。英語の説明テープを聴いていました。用意されている言語は英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語の4ヶ国語で裏で手動で切り替えていたようです。ある部屋で後に来た女の子達がテープのスイッチを押すとイタリア語が・・・係の人が慌てて謝りに来ていました。
部屋の調度品は結構見物でした。そして最も印象的だったのは、ダイニングルームの端にある扉でした。これが身長が80cmくらいしかないパックという妖精(シェークスピアの「真夏の夜の夢」にも出てくる)のために用意されたもの。正にアイルランド!という感じでした。
お城の回りを見ると、裏手には修道院の廃墟があり表と違って淋しい雰囲気でした。表の庭は綺麗に手入れされていましたが・・・駅からお城までの道はちょっとした林の中を歩きます。一人ではちょっと淋しい気もします。でも、森林の香りで気分は良くなりました。
Malahide beach
Malahide Castleを見た後すぐにDublinへ戻るのは勿体ない気がしたので、海辺を歩くことにしました。河口付近には沢山のヨットが係留され、リゾートエリアであることを感じさせました。
そうして行き着いた海辺から見えるのがアイリッシュ海。海を見ると何となくホッとしました。お天気も良かったのです。翌日にアイルランドを離れることになっていましたので、満足のいく旅だったとの思いを抱きながら歩いていました。この時点では再訪しようと考えてはいませんでしたが、この時持った思いがまた次の旅に繋がっていったと思っています。

  1. Dublin旅行情報(英語):Dublinでの旅行全般に関する情報があります。