Central Scotland
Inverurie

2005/7/7(thu)~7/8(fri)

StonehavenでGrampian地方の”The Stone Circle”というガイド・リーフレットを見つけ、その中で歩いていけそうな所を見つけました。それがこのInverurieなのです。その時点でPeterhead宿泊が決まっていたので、次のElginへの移動がAberdeen経由になるのでした。その途中にこのInverurieがあるのでは?と思い予定変更で寄ってみることにしました。Aberdeenのバス・ステーションで仕入れたバス時刻表にはその他にこの町まで行くバスも多くあることが分かりました。Fraserburghでこの町の宿を予約してもらいました。町中からちょっと離れて、予定の金額より少々高かったのですが、なんとか確保できました。
宿へは5時前に着くようにと言われていたので、4時過ぎに到着できるようにAberdeenを15:20発のバスに乗りました。運転手にいつものように近くで降ろしてもらえるように言ったはずなのですが、忘れられたのか、気付いた時はInverurieのツーリスト・インフォメーションが見えました。その前で降りなければいけなかったのです。町中のバス停に止まった時、何故か私が降りるべき所を知っていた乗客の小父さんが”乗り過ごしたので、ここで降りて引き返さないといけない”という風なことを盛んに言うのです。荷物抱えてか…と思っている内に、運転手が町を一周してAberdeenに戻るからそのまま乗っていればいいと。町中に戻ってきたところで、先の小父さんが買い物を終えて乗ってきました。その小父さんは私が降りる所を運転手に言って、降ろしてくれました。そのバス停は小父さんも降りる所だったので、降りてから宿の住所の方を教えてくれました。その方向に行ってみると”Old”が付かない通りで、宿は”Old”が付いている別の通りだったのです。そこで庭先で手入れをしている人に聞いたら、”向こうの方向だと思う”と逆の方向を示されました。”思う”ではちょっと不安でしたが、宿の名前を見せると”その宿ならこの道を行った所の分かれ道に左にある”と。そして宿の近くに来ると、降りるべきバス停が違ったことを知りました。宿も無事に見つけました。
しかし更にトラブルが…宿は1軒を2世帯に分けた家で2つ玄関がありました。ツーリスト・ボードのマークがある玄関のベルを押すと、どうも音が鳴っているような気配がしません。裏に回っても誰もいないようなのですが、車はあるのです。何度ベルを押してみてもダメでした。仕方なく暫くそこで待っていたのです。5時過ぎた頃に隣の玄関からでご夫婦が出てきたので聞いてみようと思ったら、奥さんが”もしかして、あなた…”と。そのご夫婦が宿主でした。5時過ぎても私が来ないので、諦めて出かけようとしたところだったのです。実はベルは隣の玄関のものを押さないといけなかったのです。それを間にある車庫のドア(上下回転方式)に大きく書いてあったのですが、そのドアが開いていて私は気付かなかったのです(背が高かったら見えたかもネ)。奥さんは車庫のドアを見て”あら、まあ”と。私が悪いんじゃない訳でして…慌ててチェック・インしてくれました。質問があればと言われましたが、お急ぎのようだったので”後で”と言って荷物を解きにかかりました。合計するとチェック・インは予定より50分以上!遅くなったのです。(この後に、Londonのテロ事件を知ったのです。)
翌日どれくらい待ったか?と聞かれたので20分くらいと答えました。ツーリスト・インフォメーションに行くのにバスに乗らないといけないか聞いたら、歩いていけると。場所は知っているか?と聞かれたのでバスで町を一周してきたので知っていると答えたら、笑っていました。

Inverurie
InverurieAberdeenの北西約27kmにあり、嘗ては自治都市でした。町の名は”Urie川の合流点”という意味です。ゲール語でInbhirは’河口’または’(川の)合流点’という意味です。Urieはゲール語の川の名前で、おそらくゲール語の’イチイ(yew)の’という意味のIubharachから派生した'イチイのある所’と言われています。もしくは川の接尾辞によく見られる-aidhが付いて、’地滑り’または’水口’を意味するゲール語のuarから派生した可能性もあると言うことです。さらに、’くすんだ黄褐色’または’灰色に染まった’と意味のuidhreodharの所有格)という説もあります。InverurieはUrie川がDon川(下流がAberdeen)に流れ込む所です。
Garioch(Aberdeenshireのこの辺りの地域)の中心の町で、嘗てはGordon自治区(Aberdeehshireの中の1区域)の行政の中心となっていました。町はHuntingdonのDavidによって造られたと言われています。彼はGariochの伯爵で、MalcolmIV世の兄弟で、且つ1307年のクリスマス前夜のBarra(Inverurieの北東約5kmの場所)の近くでComynsを破ったRobert the Bruceの曾々祖父です。町に与えられた(自由都市)特許状の最も古いものは1558年に記録されていますが、1806年にAberdeen港とPort Elphinstoneを繋いだAberdeen運河の建設後に町は発展し始めました。
ツーリスト・インフォメーションがある程の町なのに、Aberdeenのツーリスト・インフォメーションで渡されたバスの時刻表には1日に1本しかバスがなかったのには???と疑問を持ちました。そして、やっぱりちゃんと他にもたくさんのバス・ルートがあることを知り、何となくホッとしました。
私が泊まったのは南東にあるPort ElphinstoneというDon川の南部の地区でした。
交通
  1. 鉄道
    Aberdeen-Inverness間の途中にあります。Aberdeenから約20分、Invernessから2時間弱。 平日、土・日曜日とも十分な本数だと思います。駅は街の中心に隣接していて、ツーリスト・インフォメーションも約0.5kmで非常に近いです。
  2. バス
    AberdeenからInveruieを回ってAberdeenに戻るルートでは約50分(私の場合は70分近くかかりましたが)、平日・土曜日には1時間に4~5本、日曜日には3本程運行されています。また、Aberdeen-Inverness間のサービスは1時間に1本の運行で、両方を合わせるとかなり頻繁にあります。Invernessからは約3時間、Elginからは約1時間40分です。
    ちなみにAberdeenのツーリスト・インフォメーションで渡された時刻表にあったバスは近くの町Kemnay(Don川の上流にある)を結ぶ路線で夕方に1本あるだけです。
  3. 飛行機
    Aberdeen空港がすぐ近くにあります。国際空港なので、ヨーロッパからの便も到着しているはずです。空港からは上記のバスが空港経由になっていますので便利です。バスの所要時間は約20分。
Inverurie Old Kirkyard
Inverurie Old Kirkyard1100年代に造られたGarioch伯爵の小丘と外壁であるThe Bassの遺跡です。嘗てはRobert the Bruceが1308年初めにBuchan(Aberdeenshireの北東部の地域)の伯爵を破る前に彼が基地として使っていました(伯爵の軍隊はOldmeldrum近くで宿泊して1307年のクリスマスを過ごしました)。
2つの塚が墓地の中にありました。墓地は出入り自由なので、近づくと、頂上に上がることが出来るように道も作ってありました。そこで登ってみると…上には何もない! ここはThe Stone Circleのリーフレットにも載っていて、宿から近いこともあって、到着した夕方に行ってみました。ここに関したサイトをよく読むと、ゲートと塚の間にpictish stonesがあると書いてありました。その間は歩いていたはずなのですが、良く分からずに出てきています(夕方に一人墓地の中を歩くのが余り気持ちがいいものでなかったのです)。写真が載っているサイトを見ると、上から写していた写真の中にあったようです。ゲートと塚の間でなく、ゲートからUrie川に向かって歩いた木の下にあるようです(案内って、あったっけ?)。ちょっと悔しいです。
また、町の北の方にもBrandsbuttと呼ばれるpictish stoneがあります。こちらは訪れた時にも知っていましたが、ストーン・サークルに行った後に疲れた上に鼻炎がひどくなり、回ってみる気が起こりませんでした。
またAberdeenあたりに行く機会があったら、この見逃した所もチャレンジしたいです。その他にも地図を見るとこのあたりにはスタンディング・ストーンもあちこちあるようです。
Easter Aquhorthies Stone Circle
Easter Aquhorthies Stone Circle横臥ストーン・サークル-円の南西の弧の位置の端(写真奥)に水平に大きな石が置かれているために考古学者からもそう呼ばれています。
横臥ストーン・サークルは新石器時代の約4000-5000年前の宗教的な場所でした。横臥石がある多くのサークルは月を観察するために使われていました。サークルを建てて使っていた人達はその周りを耕作していました。石の道具と彼等の住居と繋がりがある埋葬地がその地区で見つかっています。彼等はおそらく5000年以上も前にここへやって来て、この地で最初の農耕を始めた子孫だったのでしょう。
このサークルはの直径は約19.5mで、11個の直立した石からなる古い形の横臥ストーン・サークルです。石は北東(写真右の辺り)から横臥石に向かって高くなっています。特記すべき事柄を以下に挙げます。
  1. 水平に置かれた横臥石(写真奥左)
    赤っぽい花崗岩で、長さは約3.8m、重さはおそらく9トン。数マイル離れたBennachieの辺りから運ばれてきたようです。外面は入念に平らにされています。大抵、この種のストーン・サークルでは上面は更に平らです。この石の姿は石室の墓の入口を閉じるという習慣からきているようです。この石は2つの最も高い石の間に置かれています。この石が最初からこの位置に置かれていたかどうかは不明です。
  2. 2つの大きな石(横臥石の手前に垂直に並べられている)
    2つの石は嘗ては横臥石を支えていたようですが、もしそうであれば、もやはその機能は果たしていないのです。この2つの石は石室の通路を示していると言われているようです。Aberdeenshireの他の数ヶ所で、同じ様な特徴を備えているサークルがあります。
  3. 横臥石の両脇にある柱状の石
    灰色の花崗岩で、約2.3mの高さです。
  4. その他の石
    殆どが含有物の多いピンクっぽい斑岩(ハンガン)です。高さは両脇の1.8mから、向かい側の1mまで様々です。大きさの並びは多くの横臥ストーン・サークルの典型です。
  5. 碧玉(ヘキギョク、写真左端の石と横臥石の間に見える石)
    赤く、光っていて、火打ち石の様な石です。
  6. 低い土手
    ストーン・サークルには過去数百年に低い土手が付け加えられました。土手の外側に小さな石の壁も付け加えられました。
  7. サークルの中心
    僅かに盛りあがっています。そこには小さな円の塚が残されている可能性があり、輪になった塚と分かっています。それはサークル以前か以後に造られたかは分かっていません。
”Easter Aquhorthies”という名前ですが、古いゲール語の言葉から派生していますが、異なる意見もあり、確実には分かっていません。1つの説としては、’祈りの野原(filed of prayer)’というもので、auchまたはachdが野原(field)に、orthaが祈り(prayer)に対応していると言われています。他の説では、’柱の石の野原(field of pillar sotne)’で、achadh choirtheという意味を表していると言われています。どちらにしても、石が何年もの間、この地方の人々にとって重要であり続けたことは明らかです。
<横臥ストーン・サークル>
時代は紀元前3000年の後期まで遡ります。スタンディング・ストーンが円形になり、南西に弓状になった2つの高い石があり、分厚い石板(横臥石)がその間に横たわり、楔でしっかり止められた上部の面は平らになっています。横臥石とその側石は南の空に月が上がったり、その位置に来るように組み立てられています。そうすることで、サークルを造った人達の小さな耕作共同体を作るため、季節によって変わる月の光を見ることに役だったのです。北東部Scotlandで見られる豊かな耕作地に見られるこのようなサークルは、大抵南側を幅広く眺めることが出来る丘または高台の頂上に作られていて、共同体の儀式の中心に置かれていたと考えられています。

Inverurieに急遽泊まったのはこのストーン・サークルに行くためでした。Aberdeenのツーリスト・インフォメーションでこのサークルのことを聞いた時、歩いていくのか?と言われましたが、実際、そんなに言われる程の距離ではありませんでした。道順はInverurieの中心地から非常に分かり易かったのですが、途中2つのランダバウトを過ぎるはずなのに、1つ目を忘れて、2つ目を通った時に??となりました。間にスーパーがあってちょっと寄ったので、1つ目を通り過ぎたのを忘れていたのでした。2つ目を通り過ぎた所で、歩きが遅い子供を先に行って待っていたお母さんに道を聞くと、この先真っ直ぐ、と。”ストーン・サークル”と聞いただけで、名前を言わなくても通じました。この名前、よく読めないのです。道は本当に真っ直ぐで、途中本線を外れるのですが、本線の方が曲がっているので、本当に真っ直ぐなのです。道案内もあり、また駐車場もあるので、分かり易かったです。町から約1時間で着きました。
人もひっきりなしに訪れていました。お天気が良くて、着いたら石と石の間で一休み。そこで昼食を取り、人が少なくなった所で写真を撮って回りました。真ん中に立って回って動画も撮ってみました。その真ん中って、お墓の上。ちょっと不謹慎かも。その後もう一度寝っ転がっていました。またここでも日焼けしています。その後その先にパスがあるので、少し歩いてみました。森の中をずっと歩くのですが、何処に出るのか分からなかったので、車道に出た所で引き返しました。帰る頃に、このお天気と疲れがたまって、鼻炎がひどくなり、鼻の中が炎症を起こして、他を回る気を無くしてしまいました。

  1. Aberdeen and Grampian Highlands(英語、ドイツ語、ノルウェイ語、フランス語):Aberdeenと Grampian地方に関するVisit Scotlandのページです。
  2. Aberdeenshire Council-Archaeology Service (英語):Abberdeenshireの遺跡に関するページです。