Glasgow

2005/7/17(sun)~7/18(mon)

最終地は帰国便に都合が良いGlasgowに。1泊だけでも良いのですが、CD等の買い物もしたいので2泊にしました。買い物はそんなに掛かるわけではないので、余った時間で近場に行く所があるかも知れないと思ったのです。
Aviemoreからは日曜日の移動です。朝9時半頃の出発で、宿から歩くと間に合わないし…近くのバス停に止まるかどうかを宿の人にチェック・インの時に聞いたら、”分からない”と言う返事でしたが、彼女が車で送ってくれると言ってくれました。車だったら2分もかからないそうです。9時20分に宿を出て、警察署前(所定のバス停)で降ろしてもらいました。Glasgowまでの停車はPitlochry、Perth、Stirlingだけで約3時間半、ほぼ定刻通りに着きました。
バス・ステーションで荷物を預けて、町で買い物をした後に宿へ行こうとしたら、テロの影響で荷物預かり所は閉鎖されていました。そこで、すぐにタクシーで宿へ。タクシーは宿の裏あたりに止まりました。正面に何故止まらないのか?と思ったのですが、玄関に回って分かりした。玄関の前の広場は商店(群)の屋根だったのです。そりゃ、車が乗ったら崩れかねないわねぇ。ここ、自分で探すと分からなかったので、タクシーで行って良かったのです。チェック・インにはまだ早い時間でしたので、荷物を置かせてもらい、町中へ戻りました。(ついでにトイレも借りたら、従業員用を使わせてくれました。洗濯物の山の先にありました。)
夕方宿へ戻りチェックイン。その際に1泊分の代金を払うように言われました。買い物後だったので現金がギリギリ。そこでクレジット・カードで払おうとしました。ところが、”DECLINED"が出て使用できないと。他のカードはないし…受付の人が言うにはその日5回以上使ったから、と。その日どころか、数日間、使っていなかったのに。番号を盗まれたわけでもないとのこと。限度額にもほど遠い金額しか使っていなかったし。現金を降ろすしかない、と。しかも翌日はBank Holidayで銀行はお休みだからね、とも。それでは、トラベラーズ・チェックでは?と聞いたら、sterling(英ポンドのこと)で少額(50ポンドだった)ならOKと。でも、その人は処理できないから、翌日の朝に払うようにと言われました(翌朝はすっかり忘れて、夕方に聞いたら「明日に」と言われ、結局チェック・アウト時に2泊分払いました)。
クレジット・カードの件は別件もあって帰国後に聞いたら、回数の制限など無いとのことでした。考えられるのは、その宿の機械が上手く磁気(またはICチップ)を読めなかったか、カード情報が壊れているとのことでした。それ以前やその後もネットやマニュアルでの処理で、カードを直接読んで処理されていないから不明とのこと。念のため、ということで新しいカードを発行してもらいました(その新しいカードで機械読みとりで使ったところ、OKでした)。

Glasgow Underground(地下鉄) System
Underground TrainGlasgowに宿泊するのはこれで6回目になるのですが、今回初めて地下鉄に乗りました。それまで使わなかったのが不思議です。いつもはセンター街近くの宿を取っていたのですが、今回、満室ばかりで離れた所を取るしかなかったのです。空室のある所の中で、周りの環境も悪くないGlasgow大学の近くにあったので予約しました。バスで行けるのですが、周辺を見ると地下鉄の駅もあったのです。バスで降りる場所を間違えるよりも地下鉄の方が乗りやすいと思ったのです。
切符を買って改札へ。自動改札ですが、Londonの地下鉄と同じなので、惑うことなく入りました。ホームに着いてビックリ。奥がすぐそこにある程、とっても短いのです。着いた車両は3両編成。中はLondonと同じく狭いし。まあ、危険なことはないようなので、移動には不便を感じませんでした。ただ、出る時に、切符は出す必要が無く、改札口のバーを押して出るということに気付きました。だから、その切符は記念に頂いてきています。
世界でLondonとBudapestに次いで3番目に古い地下鉄だそうです。建設は1891-1896年に行われ、1896年12月14日に開通しました。当初は車両をケーブルで引っ張っていたとか。1933年に電化されています。東の繁華街と西側の地区を結ぶ東西約3.7km、南北約3kmを一周するただ1路線のみ(時計回りと逆時計回り)で運行されています。15の駅があり、一周に要する時間は約25分で、2つの駅は2分以下で着くそうです。平日昼間は4分または6分間隔で、夜と休日は8分間隔で回っています。切符は定額です(でも買う時に、目的地を言わされました)。往復切符は買えますが、安くはなっていません。回数券があるようです。
Falkirk
飛行機とホテルを予約して暫く経った頃、BBCニュース(ネット)でAntonine Wallの記事を見つけ、Glasgowから日帰りで行けるかも知れないと。以前からこの壁のことは知っていたのですが、どの辺りにあるかは余り意識していなかったのです。
Hadrian's Wallの方は世界遺産にも登録され、観光案内にもよく載っていますが、Antonine Wallは全く載っていません。その為何処に行ったら見ることが出来るのか分からないので、ツーリスト・インフォメーションの中をウロウロ。聞くにも聞けない状態でした。そして見つけたのがForth & Clyde And Union Canalの地図でした。Forth & Clyde Canal沿いにあることは別の地図で知っていましたが、こちらの方は更に詳しく書いてありました。それを買って、カウンターでGlasgowに近くてRoman FortがあるBishopbriggs付近を指して、交通機関を聞き出しました。バスが頻繁にあるらしいことが分かりました。Bishopbriggsからタクシーと言われましたが、歩くとどれくらいかかる?と聞いたら30分程と。それくらいならタクシーは必要ありません。カウンターを離れる時、係の子に”Good luck”と言われてしまいました。
その後広場で休憩している時に、地図をよく見たら、Falkirkにもっと大きそうなRoman Fortがあることが分かりました。FalkirkはEdinburgh行きの列車が止まります。これなら運河沿いを歩いて散歩がてらに行けそうでした。その日の夕方、Glasgow大学で研究をされているI氏とお会いした時に、翌日に何処に行くかを話していたところ、”明日はBank holidayで大学が閉まっているから、一緒に車で行こう”という話になりました。車で約30分、Antonine Wallだけでなく、近くにあるFalkirk Wheel、Forth & Clyde Canal、Union Canalもついでに見学することもできました。

                        (Union Canalで、切れているように見える所は長いトンネルに入っているため)
Forth & Clyde Canal
西はClyde川の川幅が広くなる辺りのBowlingという町と、東はForth湾に注ぐCarron川の河口のGrangemouthという町を結ぶ全長37マイル(60km)の運河です。水位の高低差は全体で150フィート(約46m)を超えるため、39個のロック(閘門)が造られています。1768年から建設が始まり1773年までに東半分が開通しています。1785年にはGlasgowまで開通しました。1790年までに、Glasgow Branchも造られ、Bowlingまで開通し、西海岸と東海岸を結ぶ運河が開通したことになります。当初は他の運河と同じ様に商業の船が往来していました。道路や車が発達するに連れ、次第に廃れたのですが、最近になって観光用やレジャー用として見直されてきました。1999年5月にNational Lotteryの援助の下、再開発が始められました。
Forth & Clyde Canal開発当時は船にはエンジンがないので馬で引いていました。その為に必ず運河沿いには道が造られています。今は船は自力走行なので、馬は必要なくなりましたが、道は残されています。その道を今度は人間(+犬)が歩くために利用しています。サイクリングや乗馬も可能です。
I氏と私はこの運河のFalkirk WheelからCamelonという町にある16番ロックまでの約6kmを往復しました。この16番ロックの側には嘗てUnion Canalと繋がっていた水路の入口があったそうです。微かにその痕跡らしい所を見つけました。その上は舗装道路があり、言われないと気付かない程になっていましたが、すぐ近くにUnion Innと言う建物があって、名残もいくつかありました。16番ロックの先には一般道が横切って、運河はその下を潜っています。この道は固定なので、従ってそこを通ることが出来るのは高さが低い船ということになります(つまりヨットは無理)。その先に更に10個程のロックが連なっています。
ロックには番号が東から(つまり開通が早いほうから)付けられています。また、道が横切っている所では橋が回転する所もあるようです。
Union Canal
FalkirkからEdinburghまでの全長32マイル(51.5km)の運河です。”Mathematical River(数学上の川?)”というニック・ネームがあるそうです。Forth & Clyde Canal開通後、30年以上経った1822年に完成しました。Scotlandの首都に石炭を安く運ぶためでした。また、客船もありました。Forth & Clyde Canalとは112フィート(34m)の落差があり、11個のロックが必要でした。1842年にGlasgow-Edinburgh間に鉄道が開通した後も貨物輸送は続いていましたが、1921年にEdinburghにある3つの船溜まりが埋められ、1965年には閉鎖されました。1990年にLinlithgow近くにPreston Road Bridge(この橋が運河の上を通っていますが、以前は運河を塞いでいた?)の建設と共に、再開されました。そして、2002年5月にForth & Clyde Canalと繋がりました。
Union Canal西端(Forth & Clyde Canal)から入ると先ずGloden Jubilee Lock(Lock 3)と呼ばれるロックがあります。そしてFalkirk Wheelで持ち上げられ、トンネルを潜って次に2つのロック(Lock 1&2)に行き当たります。このロックは小さいので水が溜まるのも早く感じられました。その後Edinburghまではロックはありません。その高低差は僅か2インチ(5cm)!とロックの開閉係のおじさんが説明してくれました(脇のパスでのサイクリングは楽だろうな…)。
このロックは小さいので、体格の良いおじさん2人が開閉を行っています(左写真)。通る時には通行料は払わず、British Waterways Scotlandに通行許可を年間300ポンド払っていればいいとのことでした(3ヶ月間有効もあるようです)。船が通過する度に徴収していたらおじさん達はお金の管理も必要になってたまったものではありません。この点では良いシステムと思われます。料金も高い金額とも思われませんでしたが、おじさん曰く”マリーナ係留費は高いかもしれない”と。観光ガイド役も務めていたおじさん(達)でした。
Falkirk Wheel
115フィート(約35m)の高低差がある上記2つの運河を繋いでいます。2001年夏に着工され、2002年5月1日に開通しました。
嘗ては1.5kmの距離に11のロックで結ばれていましたが、1933年に閉鎖され、それ以来この2つの運河を結ぶ物はありませんでした。”Millennium Link”プロジェクトで、この2つの運河を再び結ぶ計画がなされ、以前のロックでは時間が掛かりすぎるということで、このホイールが建設されました。
Falkirk WheelとGolden Jubilee Lockこのホイールは2つの水槽を船ごと上下させるもので、1つの水槽は長さが35m、約300トンの水をためています。これが動く時は総量600トン以上のものが回転していると言うことになります。1回の回転に要する時間は約4分とか。(回転すると言っても、水槽が回転するわけではありません。そんなことしたら水がこぼれ、船も落ちてしまいますから。回転する様子は下記に挙げたサイトでご覧下さい。)水槽には20mまでの船が入ることが出来るそうです。
このように水槽を上下させて運河の高低差があるところを早く通過させるのはここだけではありません。最大級のものはドイツのOder-Havel 運河にありますが、そこはエレベーター方式に単に1つの水槽を上下させるだけです。もっとも、その水槽には貨物船を入れるだけの大きさですから、圧巻だと思えます。このFalkirk Wheelはその方式と形(デザイン)が実にユニークなので、最近の観光スポットになっています。
この上下の体験をすべく、観光用の船が2艘ありました。片方の名前が”Antonine”となっていて、思わず笑いましたが…(もう1つは”Archimedes”で、分かっていればネーミングでも楽しめます)。この観光船は、上に上がって、水路を暫く進んだ所で引き返します。Union Canalのその先には進むことが出来ない大きさだからです。その先まで進むナロー・ボートでの観光もあるようです。勿論、ここを利用出来る船は観光船だけでなく、通行許可を受けている一般の船(サイズには制限ありますが)全てです。
Millennium Linkにはこのホイールの他に
  1. Gloden Jubilee Lock
    Forth & Clyde CanalからUnion Canalに入るとすぐにあります(写真の左あたり、赤い船の先のロック)。”Golden Jubilee”はエリザベス女王在位50周年を指すもので、このLinkが丁度同じ時に開通したために付けられたようです。Falkirk Wheel
    開通の記念式典には女王も参列されたという記事も見つけました。
  2. トンネル
    上の水路に上がって進むと暫くしてトンネルに入ります。先の観光船はこのトンネルの幅ギリギリのサイズです(よくもぶつけないものです)。建設は100年以上も前で、1933年に閉鎖されていました。Millennium Linkの建設と共に再開されたようですが、拡張されたわけではないようです。このトンネルの中は勿論歩いて通ることが出来ます。あまりに暗いために、小さい男の子は入口で怖がって立ち止まり、最終的にはお父さんが肩車をして通っていました。また、トンネルの上を鉄道と道路が走っています。そして、Antonine Wallも通っているらしいのですが、下から見る限り全く分かりませんでした。
が含まれているようです。そして、ホイールの横にはビジター・センター(写真の左、半円形の白い部分)も作られています。主に売店とカフェですが、ホイールのミニュチュアも展示してあり、このシステムを解説していました(トイレもここです)。観光船のチケット売り場を通らないといけないので最初は有料かと思っていたのですが、脇を自由に行き来できました。ホイールを間近に見ることが出来ますが、あまりに大きいので、写真撮影には向かないようです。
Antonine Wall at Rough Castle
<Antonine Wall>
138年、 ローマ皇帝Antonius Pius(アントニヌス、86-161、138-161在位)がHadrian(ハドリアヌス、117-138在位)の後に即位し、Britain島の北部で勢力を広げるために前任者に倣って新たな壁を造ろうとしました。
Antonine WallはScotlandのLowlandのForth湾とClyde湾に挟まれた東西に狭い地域に建設されました。建設期間は140-142年、長さは37マイル(約60km)。壁の前に深さ12フィート(3.8m)の堀があり、壁の高さは10フィート(3.1m)、幅は14フィート(4.3m)で、南側に道路が走っていて、その道路側に29個の小規模の砦が点在していました。防御壁としてのAntonine Wallは長くは機能していませんでした。181年に北から部族がなだれ込み、ローマ軍をHadrian's Wallまで押し戻し、最終的には196年には2つの壁の間の領地を取り戻すことは出来ませんでした。
Hadrian's Wallの様に石造りでなかったために、現在残っているのは建設されていた場所が一部残っているだけとなっています。
<Rough Castle>
Antonine Wall at Rough Castle訪れたRough CastleはRoman Fortの1つです。城壁に沿って、約20個の窪みの列が10個あったとされ、その内の1つは1903年に発掘調査されました。その窪みは嘗ては約3フィート(0.9m)の深さがあり、おそらく直立して茂みでカモフラージュして隠れる事が出来るようにに掘られていたと思われます。Antonine Wallの堀は小川(中央あたりに南北に流れている鉄分を多く含んでいる小さな川がある)の向こう側で盛り上がっていて、Roman Fortの東側に堀が延びています。
ここは盛り土しか残っていなく、建物は完全になくなっていますが、Antonine Wallに造られたRoman Fortの中でも、保存状態は良い方だということです。しかし完全な廃墟とはいえ、敷地は広大です。また、発掘調査でローマ文字が刻まれた石板も出土したそうです。ここの他に、Bar Hill(最寄りはKilsythという運河の北側にある町、またはTwecharという運河の南側の村、遺跡は運河の南側)のRoman Fortが最も保存状態が良いと言うことです。石積みなどがここでは残っているようです。他に良いのはCroy(Bar Hillの東約2.5km)だそうです。
Falkirk Wheelの側の道に”Antonine Wall”という案内の矢印がありました。それを辿っていくと、Union Canalのトンネルに行き着きます。トンネルの上の方かと思ったら、上を回って降りるだけ。西に向かうパスが見えているのですが、確信が持てません。地図では、そのトンネルの上にも壁があると。でも、はっきり分からないのです。そこでI氏がトンネルの上にいた3人のおじさま達に訪ねた所、その西に向かう道がそうだ、と言う答えでした。2kmほど先に行くとRoman Fort(Rough Castle)があるとも教えてくれました。西のパスへ入り暫く歩くと2回程分かれ道にぶつかりました。そこにはどちらにもちゃんと”Roman Fort”の方角を示す案内があるのです。どうも案内が中途半端です。やがて囲いがある広場へ。しかし、何も書いていないのです。盛り土があちこちにあるので目的地らしいです。広場の中を進むと、説明板らしき石が見えます。近づいてみるとやはりRoman Fortでした。入口に案内くらいは欲しかったです。管理はHistoric Scotlandです。もうちょっとしっかりして!
敷地は広大で、ローマ帝国のすごさを感じました。建物は全く残っていないので、嘗てここに砦があったことは盛り土の形ぐらいでしか感じられません。Antonine Wallはこの中を通っていたとかで、堀が一直線に通っている所です(写真)。これにも説明が付いていたので分かりました。ここでお昼(I氏がパンとおかずを用意してくれていたのです)。雨上がりでしたが、適当に乾いている所に座りました(でも、やっぱり濡れた!) 食べている時に、犬の散歩の女性と老夫婦が入ってきていました。大きさの割に訪れる人が少ないような気がしました。すぐ南には牛が放牧されていて、その向こうをGlasgow-Edinburgh間の列車が通っていました。お天気もここにいる間はなんとかもってくれて、気分も良く過ごすことが出来ました。
Crinan Canal(おまけ)
Antonine Wallの為に買った運河の地図ですが、Forth & Clyde CanalとUnion Canalの他に、Crinan Canalと言う運河が載っていましたので、参考のために付け加えておきます。
この運河はKnapdaleという地域の北部に造られています。全長9マイル(14.5km)で、15個のロックがあります。1801年に開通し、Loch Fyne(この入江の奥にInveraryの町があります)とJura海峡を結んでいます。これによりKintyre半島を回る130マイル(210km)の航海が短縮されました。この頃はGlasgowとWestern Islesの間での石炭、スレート、ウィスキーの供給が主でした。現在は釣りやヨットなどのレジャーで使われています。脇にあるパスは全てが整備されていないようですが、散策は可能でしょう。
北西端はCrinanという村、南東端はArdrishaigという村にあります。途中Lochgilpheadという村も通りますが、この村とArdrishaigを結ぶ道は、InveraryとIslay島に向かうフェリーが出るKennacraigやKintyre半島南のCampbelltownに向かう道路の一部です。Inveraryから行くとこの辺りで右手にこの運河が見えているかも知れません。この道は私もバスで一度通ったことがありますし、その時右側に座っていたので見ていたかも知れません。通られるようなことがあれば、気を付けてみてみて下さい。Ardrishaigでは交差しているので、もっと分かり易いかと思います。

  1. See Glasgow(英語):Greater Glasgow and Clyde Valley Tourist Boardのページです。
  2. Glasgow Guide(英語):Glasgowの情報ページです。
  3. SPT(英語):Glasgow内外の公共交通機関の会社SPTのオフィシャル・ページです。地下鉄の情報があります。
  4. British Waterways Scotland(英語):British Waterways Scotlandのオフィシャル・ページです。
  5. The Falkirk Wheel(英語):The Falkirk Wheelのオフィシャル・ページです。
  6. The Falkirk Wheel - The World's First and only Rotating Boatlift(英語):Falkirk Wheelの解説ページです。
  7. Undiscoverd Scotland - Falkirk Whell(英語):Falkirk Wheelの紹介ページです。Wheelが動いている途中の写真があります。
  8. Antonine Way(英語):Antonine Wallの解説ページです。
  9. The Antonine Wall(英語):Roman BritainのThe Antonine Wallに関する記述のページです。