前田(Maeda)
かつては発電所があったが、今は、それは無くなり、変電所がある。

長関線(下関駅前―長府駅前)―3.前田〜長府駅前
今は無き山陽電気軌道の軌道風景(1959〜1963年)
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前田―1962-6-24
左:御裳川方向。
右:黒門方向。電車は彦島口行きモ602である。安全地帯が無いので、停止位置を示す札(「前田」)が上にぶら下がっている。
   これは、西鉄の軌道線と同じやり方である。

黒門(Kuromon)

黒門―1962-6-10
左:前田方向。軌道には敷石が無い。左手向こうに、関門海峡の入り口が見える。
右:外浦方向。遠くに小島が2つ見える。左が干珠島、右が満珠島で、「古事記」の海幸と山幸の物語にある、干珠、満珠に当てはめたものである。

 ここを以ちてつぶさに海の神の教へし言の如、その鉤を與へたまひき。かれそれより後、いよよ貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め來。
攻めむとする時は、鹽盈つ珠を出して溺らし、それ愁へまをせば、鹽乾る珠を出して救ひ、かく惚苦めたまひし時に、稽首曰さく、
「僕は今よ以後、汝が命の晝夜の守護人となりて仕へまつらむ」とまをしき。 かれ今に至るまで、その溺れし時の種種の態、絶えず仕へまつるなり。
 [古事記 上つ巻 日子穂穂出見の命 海幸と山幸 から]

外浦(Sotoura)
外浦には、下関水族館や長府遊園地がある。

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外浦―1962-6-10
左:黒門方向。電車は長府駅前行きモ602である。
  左に水族館への道が分岐している。道の右には「山電パーク 長府遊園地」と記された柱がある。
  遠くの山は、九州北端部である。
右:松原方向。左に長府遊園地に登る階段がある。

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松原(Matsubara)
この辺りは長府地区の南端である。長府は、門国の国があった所である。

松原―1962-6-10
左:外浦方向。左前方の木立は県立豊浦高校(男子校)である。
右:鳥居前方向。左に自動車学校の門が見える。

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鳥居前(Toriimae)
ここは忌宮神社参道の入り口である。近くには、市役所長府支所、長府商店街などがある。
電車の車庫もある。

鳥居前―1962-6-10
左:松原方向。電車は、左が彦島口行きモ603、右が長府駅行きモ504である。手前に亘り線がある。
  左の高い塀は神戸製鋼所長府工場である。右には「忌宮神社」と記された柱が見える。
右:印内方向。左に長府商店街(鳥居前通)が分岐している。

モ503形:1949年、日立製の、半鋼製車

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印内(In-nai)

印内(いんない)―1962-6-10
左:鳥居前方向。左側は神戸製鋼所長府工場の敷地である。
右:前八幡方向。前方左に、関門有料道路に至る道が分岐している。

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前八幡(Maeyawata)

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前八幡(まえやわた)―1962-6-10
左:印内方向。停留所部分にだけ、軌道敷石がある。
  左の塀は神戸製鋼所長府北工場である。
右:江下方向。停留所部分にだけ、軌道敷石がある。
  右の塀は神戸製鋼所長府北工場である。

江下(Ege)

江下(えげ)―1962-6-10
左:前八幡方向。軌道には敷石が無い。
右:松小田方向。右の海岸では埋め立て工事が進行中である。

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松小田(Matsuoda)

松小田(まつおだ)―1962-6-10
左:江下方向。停留所部分にだけ、軌道敷石がある。
  左の海岸では埋め立て工事が進行中である。遠くの煙突は神戸製鋼所長府北工場である。
  右には山口大学農学部がある。
右:競艇場前方向。停留所部分にだけ、軌道敷石がある。
  右の海岸では埋め立て工事が進行中だが、左の歩道に「松小田汐干狩場入口」の表示が残っている。  

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競艇場前(Kyoteijomae)
ここは、臨時停留所で、下関競艇が開催される時にだけ電車が停まる。

競艇場前―1962-6-10
左:松小田方向。
右:前方の交差点で左に曲がると、長府駅前になる。

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長府駅前(Chofuekimae)

長府(ちょうふ)駅前―1962-6-10
左:前方の交差点で右に曲がると、競艇場前になる。
右:彦島口行きモ503が停まっている。

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山陽本線・長府駅―1962-6-10
駅前広場は、舗装されていない。広場の右側に、山電の乗り場がある。

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