【ひむあり子育て日記】 パパ緊張する…の巻!

11月4日 アリスSIDE

 昨日は久々の人混みで…なんとなく疲れたかな。
 でも、そーんなことを言うと怒られそうやから、内緒!

 とりあえず、帰省の準備だけはしち方がいいと思って荷造りをしていたのだけれど、こっちにも冬物少し買って置いた方がよさそうだ。でも、今の俺のサイズで着れる服を買ってももったいないしなぁ…。
 さずがに男のマタニティってのは世間一般にはないからな。
 そうや、田舎で母さんに頼んでみよう。親父のは無理やけど…でも、裏のおじさんは3Lサイズやろうし…なんか調達してくれるかもしれへんしな。
 
 いてっ! こらっ…今蹴ったのはどっちやねん?
 だから、言ってるやん。君達のことは忘れてないって。今はまだ俺が温かかったら君達もいいわけやから、我慢してやってな!
11月5日 火村SIDE

 アリスの家に来ている。
 瀬戸大橋が出来てかなり便利になったと言っていた言葉の通り、車だとそんなに遠く感じなかった。これならアリスの身体にもそう差し触りはなさそうだ。
 
 それにしても…。
 親父さんには緊張した。お義母さんとは面識があったので、なんとなくすぐに馴染んだけれど、親父さんはまた別だ。
『頑固で固い人やからなぁ。よく言えば真面目。反対で言えば融通が効かへんってとこかな』
 そんな言葉をアリスから聞いていたので尚更かもしれない。
 息子が嫁ぐなんて信じがたい事実を目の当たりにして、泡を吹いた人でもあるし。
 果たしてまともに話しをしてもらえるのかどうか、とても不安だったのだが。
 ……だけど、俺が親父さんから感じたものは深い愛だ。
 息子の愛したものを受けとめようとしてくれる度量の広さに感謝したい。

 来てよかった。
第14話 里帰り

 がらりと襖が開いた。
 ぼんやりと空を見上げていた俺は見知らぬ気配に振り向く。
 と…。
「一緒にどうですか?」
 なるほどと人目でわかる…アリスの親父さんが徳利とおちょこを乗せた丸盆を手に近付いてきた。
「あ、持ちます」
 立とうとする俺を『どうぞそのままで』とやんわり制し、親父さんは腰を下ろす。
 つられるように向いに座った俺も正座をし直し、寝巻替わりにと借りた着物を正した。
「初めまして。火村と申します。この度はご挨拶が遅れまして」
 こんなに緊張する挨拶など、これまでの人生において初めてだと思う。ふかぶかと礼をする頭が畳にすれる。
「いや、こちらこそ……有栖が…お世話になりまして…ありがとうございます。……さ、顔あげて…足、崩して下さい」
 言葉を選びながらのこの人なりの葛藤が見える気がしたてなかなか表を上げられずにいた俺だったが、穏やかな物言いに促されて顔を上げた。
「さ、まずは一杯、どうぞ」
 差し出された盃。
「すみません」
 礼をしながら受け取って、我ながら驚いた事にその手がやけに震えている。
 きっと親父さんも気づいているだろうが、気付かぬふりをしてくれているのだろう。
 震える手で注ぎ返す俺をアリスによく似た優しい声が見守ってくれた。
「ありがとう。…地酒なんですよ、この辺の。口に合うといいんやけど…私は結構これが好きでね。火村君は洋酒の方がよかったかな」
「いえ、いただきます」
 コクコクと飲み干す酒の味も実の所よくわからない程、俺は緊張し続けていたようだ。
「そう堅くならんと…すみませんでしたね。どうしても組合の寄合いから抜け出せなくて…待たしてしまいました」
「いや、とんでもありません。こちらこそ、風呂も食事先に頂いてしまってすみません」
「いやいや…。来て頂いてもご覧の通り何もない町やから。でも、すめば都でなかなかいいもんですよ。老後みらは向いているかもしれません……」
 所々に残る大阪的なアクセント。でも、どことなくアリスと違うのは、やはりここが親父さん達にとっては生まれ故郷だと言うことなんだろう。親父さんは長年の会社勤めを定年退職した後、田舎に戻って家業の花作りを手伝う事にした。もう社会人になろうとしていたアリスだけが大阪に残ったのだ。
『親父があっち戻るって言うた時、俺には何だかぴんとけえへんかったなぁ。俺にはやっぱり大阪が合ってるし。今日も里帰りっていうより、なんか爺ちゃん家に遊びに行く感覚やねんなぁ。ま、この子らにはほんまに爺ちゃんの家やけど…』
 行きの車の中でアリスはそんな事を言っていた。
「老後って…まだまだ十分お若いじゃないですか。畑仕事も体力でしょうし」
「とんでもない。仕事というより遊びみたいなもんや。好きにやってるだけですよ」
 たどたどしかった会話が、そんなことをきっかけに進み出した。といっても、話し続けていた訳ではなく。沈黙がほとんど。どことなくぎくしゃくしながらも時間が過ぎる。
 でも、決してその時間が不快ではない。
 寧ろ、心地いいとも思えるのはアリスと居る時と通ずる何かがあるからなのだろう。
 それも道理だ。
 この雰囲気がアリスを育てたものだから。
 やわらかくて、暖かくて…。
 その中の自分だけが、どこか異分子のような気がしてしまうのが…ちょっと問題だが…なんて事を思いつつ、空になった親父さんの盃を満たそうと何本目かの徳利を手にする。
「いや、もう…」
 ほんのりと赤くなった頬で告げると空の盃を見つめながら、親父さんは淡々と語り始めた。
「火村君…」
「はい」
「困らせていませんか?…君を…。頑固者やから。有栖は…。見かけはのほほん…としてるくせに、肝心なしこは絶対ゆずらへん…誰に似たんやら」
 それは俺に尋ねるようで、実はそうではない。親父さんの独白だ。口を挟むのもはばかられて俺は静かに首を振っただけ。
「昔ね、せがれが勤め始めた頃やったかな…。酔いに任せてぽろっとこぼした事があってね。『なぁ、親父…。男でも子供産めたらいいやろな?』って。笑い飛ばしました。何をそんな馬鹿げた事を…ってね。そしたら有栖はむきになって言うたんですよ。『でも、願い続けたら叶うかもしれへんやんか。気持ちが地からになるんやったら、俺は絶対叶えてみせるのに…』なんて。それはそれは真剣な目で…。あの時の顔。何故かずっと忘れられずにおりました」
 想像がつく、その顔…。
「火村君の子供、産むつもりやったんやろうな…あの頃からずっと…あの子は…」
 遠い日を懐かしむような目で親父さんはやんわりと笑みを浮かべる。
「おとうさん…」
 初めて…俺はそう呼んだ。
「火村君。夢を叶えてやってくれて、ありがとう。世間がなんと言っても、あれが望んだ通りの想いを遂げる事が出来るなら、親にとってこんな嬉しい事はない」
 その呟きに肯くと、親父さんはふかぶかと頭を下げてくれた。
「いえ、とんでもないです。私の方こそ…アリスをこの世に送りだして頂いてありがとうございます。俺は…アリスと出会っていなければ、きっとどこか…何か…欠けたままで居たと思います。あいつと出会って、こうして家庭まで築くことが出来て。こんな幸福を与えてもらって…本当によかった。感謝しています」
 今まで誰にも言った事のない想いがすらすらと言葉になる。そのうえ、何故だか不覚にも涙が出そうになった。この溢れ出る想いをどうしたらいいのか……。アリスに、そしてアリスを育んだ全てのものに、どうやったら伝えられるのか…。
 でも、親父さんが次に発した言葉はとても意外なもの。
「そうだ、火村君。釣りは好きですか?」
「は? いや…好き、というほどはやった事も無いですが…」
「そしたら、やってみますか? 明日でもどうです? 竿はお貸ししましょう」
「喜んで…」
「では、早起きしてもらわんとあかんから…この辺にしましょうか」
「はい」
 まるでその言葉を待っていたように襖が開いて、お義母さんが顔を覗かせる。
「何かつまむものでも…あら、もうお開き?」
 そっちに気を取られているうちに親父さんが机の上のものを盆に戻し始めている。
「…明日、早出することにしたから。天気もいいらしいしな」
「あら、まぁ…そしたらおにぎりでも持っていったらいいねぇ…」
 にっこりと笑みを浮かべて近付いた二人の阿うんの呼吸。
 来てよかった…と素直に思えた。
 もう一度、親と呼べる存在がこの人達でよかった…。

 寝床を用意されたのはもともとのアリスの部屋。別々に暮らすと決まっていても当然とばかりに用意されていた息子の部屋には運びきれなかった懐かしい本や昔見た憶えのある服などがきちんと整理されていた。
 小さな明かりを残してアリスは既に眠りについているようだ。
 こんもり…とした山が向こう側に見える。
 起こさぬようにそっと、そおっと、布団に入る。が、小さな声に呼ばれてしまった。
「火村…」
「ごめん、起こしたか?」
「ううん、起きてたてで。横になってただけだから」
 きっと気にしていたのだろう。
 到着した時からの父親の不在を。『本当に急に出来た用事なのよ』とお義母さんに念を押されてはいても。こうなって以来、一度もちゃんと会っていなかった父親だから。
「…父さん、何か言うてた?」
「いや、別に。お前の事を話してただけさ」
「なんかひどい事言われんかったか?」
「いや、別に。昔からアリスが頑固者だったって話しくらいかな…。そうそう、釣りに誘われたよ」
 がさがさと…近づいてくる身体を包み込む。
「え、ほんまに? へぇ…そうなんや、よかった」
「何で?」
「ん…父さんな、ごっつい気に入った人しか釣りに誘ったりせえへんねん。沈黙が堪えられへん相手はあかんからって」
「そうなのか」
「うん、ほんまに…よかった!」
 安心したせいか、アリスは大きなあくびをしている。
 朝からの移動で身体も疲れているのだろう。親父さんの帰りを待たずに先に床に入ったのは、子供の事を考えて無理をしてはいけないとお義母さんに諭されたからだ。話しは尽きないけれど、ここでうだうだと起きていたら早く休んだ意味がない。まだまだ俺達にはたくさんの時間があるのだから。
「さ、寝よう。明日早いらしいから、俺も寝ないとな」
「そうやな」
 おやすみ、と自然に交わしたキスの後、アリスはにっこりと微笑んでいた。

 2泊3日なんてあっという間だ。
 帰り際に俺は一通の手紙を親父さんから受け取った。
 そこには産まれてくる子供のどちらかに…と託された名前が印されている。アリスには内緒だ。
『あれは、絶対に自分で懲りているから反対するやろうから』と俺が託されたのだ。
 そして、手紙と共に頂いた有り難い言葉。
「火村君。息子を、そして孫たちをよろしく」
「はい。大切におあずかりします」
 万感の想いを込めて、俺は親父さんと握手を交わす。
「…君を息子に出来て幸せに思っているよ」 
 そのぬくもりを俺は生涯忘れる事はないだろう。
 また戻ってきたい…そう思える場所がここに在る。
 今度は子供たちと共に。家族四人で。
 心の中でそう誓って、俺は新しい故郷を後にした。

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