【ひむあり子育て日記】・・らぶらぶっていうんだって、パパとママ
8月1日 火村SIDE 北白川に戻るとばあちゃんが、一緒にと冷やしそうめんを作ってくれていた。 満腹ーとごきげんなアリスに、ばあちゃんが不思議そうに「何かいい事ありはりました?」と聞いている。 「別になんも」といいつつ…零れる笑みを新聞を片手に盗み見て、原因はやはりアレかな…と思う。 今朝からずっとあの調子っことはつまり…。 夫婦の間では、愛の営みは重要だということなのだろう。 愛されてるって実感ってやつを肌に刻みこんだ安心感がにじみでている。 子供のことばかり気にして、今まで普通だったコミュニケーションに欠けていた事を深く反省している。しばらくは手を繋いで寝る事を約束させられた程、さびしがりにしてしまったのは俺のいたらなさ。アリス以上に大事なものも、欲しいものもないというのに…。 それでもまぁ、何とも平和な光景が印象的な日曜日だった。
第8話 新婚報告その3 〜もしもし…〜 電話の音。 読みかけの本をおいて動きだそうとする火村よりも先にアリスが子機を取った。 「もしもし、火村ですが…」 アリスがそういって応対しているのが、なんだかとてもこそばゆい。 最初の頃はどうしてもその名が出ずに、どうしても「あり…ひむら」になっていたのだが。 『だって、火村の家やねんから、火村ですってとらなあかんやろー』 と、受話器を手に『もしもし火村ですが』『はい、火村です』『火村です』『火村…、火村…』と熱心に練習していた成果があったようで、最近はすらすらと受け答えしている。 『この間なんて自分の携帯とって、思わず火村ですって言いかけて、片桐さんに笑われたわ』なんて苦笑していたほどだ。 「あ、どうも…いつもお世話になってますー。はい。…えぇ、順調みたいで…」 電話の向こうにぺこぺことあいさつしているところを見るとよく知った人の誰かだろうと思っていたところ。 「ちょっと待って下さいね。火村ー、船曳さんから電話ー」と受話器を差し出された。 こんな時間に船曳さん…ってことは…と構えて受話器を取る。 「こんばんわ。何か起きましたか?」 『さすが、先生。そうなんですわ。ちょっと不可解な事件なんで、お力を貸して頂ければと思いまして』 多分さっきまでの声よりいくぶんトーンを落としての会話となっていたのだろう。 「わかりました。では、後程」 受話器を置いて振り向くと、カッターとネクタイが差し出されている。 「はい、着替え。どこまで行くん?」 「文の里だってさ」 「なんやうちの近くやん。さっき戻ったとこやのに、とんぼ帰りやなぁ…」 さすがについていくと言わなくなったのは母親の自覚ってところか。 つわりのまっ最中でも『気分よかったら行くのにー』とじたばたしていたのに殺人現場の胎教の悪さを悟ったようだ。 「また、落ち着いたら事件のこと聞かせてな。そしたら、いってらっしゃい…」 玄関先で優しく見送るアリスにそっと唇を寄せる。 「遅くなるかもしれないけど、ちゃんと寝るんだぞ」 「うん。大丈夫やって…」 そんな二人を遠目に見つめてばあちゃんもそっと微笑んでいた。 夜。 「そしたら、おやすみなさい。みんなもおやすみー」 ばあちゃんや猫たちにあいさつをしてアリスは2階へと戻る。 しーん……としている部屋に入るのはなんだか、ちょっと淋しい。 カチカチと鳴る秒針の音がやけに耳についてしまう。 「まだ仕事中やろな…火村…」 ずっと傍に置いていた子機が鳴らないということは手が離せない状況だという事だ。 当然ながら、現場に出てしまうと時間の観念がなくなることはアリスもよく知っている。 「嫌な思いしてなきゃいいけど…」 自らの研究とはいえ、心に痛い事件があるということも十分に…。 せめてそんな時、傍に居られたら…とは思うけど。今の自分ではそれは無理だから。 「がんばれー。火村。ちゃんとここで待ってるから…」 優しくお腹に手を置いてアリスはそっとエールを贈る。 「一緒に応援しよな…僕らも…」 実の所、僕らか私たちか…はまだわからない。先生は知っているのだろうが、産まれてくるまでは楽しみにしておきたいと二人の一致した願いで聞いてはいない。 どちらでも、元気な子であればそれでいい。そのためにも…。 「…さーて、日も変わるし、寝なくっちゃ。怒られてまう」 ベッドへと行く前に、留守録をセットしようと手にした電話がトゥルル…とタイミングを測ったように音をたてる。 「えっ」 一瞬驚いて、すぐに慌てて外線を押す。 「…はい、もしもし、火村ですが…」 『アリス?』 「あ、火村…」 ほぅっと甘さを帯びる声。 火村ですが、と出た声に火村と呼ばれる奇妙な矛盾がなんだか愛しくて…思わず笑みが広がる。その沈黙を訝しがるように問い掛けられた。 「もしもし? どうしたん、何かあったん?」 『まだ起きてたのか…』 「うん、でもちょうど今、寝ようと思ってたとこ。火村は? 片付きそうな ん?」 『一段落ってとこかな…明日しきりなおしなんで、一度帰るよ』 「えっ、そっち泊まった方が楽やろー」 『そうだけど…』 心配そうな声。 「大丈夫やって。ちゃんと留守番しとくから…心配しいやなぁ…まったく…」 『違うよ。お前が寂しがるかと思って…』 昨日の今日では不安にもなる。 「あ…昨日の約束?」 『…あぁ…』 久しぶりのセックスは気持ち良かったけど、やっぱり疲れた。心地よい疲れではあったけど、頻繁にというわけにはいかないと悟った。だから、せめて触れていて…手を握って眠らせて…とせがんだのはアリス。ふわっとした余韻の中でいつもこうしててって甘えた夜…。 「ありがとう火村。でも、さみしいけど平気」 『アリス?』 「俺、一人やないから…。さっきも言うててん。ちゃんと3人で待ってようって…この子らと」 『そうか。でも、やっぱり帰るよ』 「え? 大丈夫やって」 『いいの。俺が淋しいだろ』 「火村が?」 『あぁ、それにアリスには子供たちがついてて俺だけ一人ってのは不公平じゃないか。それじゃあな』 寝てていいから…と切れた大真面目な声。 しばらくして…。 くすくす…とアリスは笑い出す。 「一番の甘えたって…もしかして…火村?」 でも、そうかもしれない。 ああ見えて…人一倍さみしがりやなんだから…。 賑やかな家庭に憧れた…と、以前火村はこぼしたことがあった。 だからこそ、自分では駄目だとアリスが悩んだ事もある。 でも、今は違うから。 「…はやくみんなで出迎えてあげれたらいいな。お父さんの事…」 火村と共に為しえた奇跡にアリスはそっと語りかけた。
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