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川端町(Kawabatamachi)
川端町から東中洲にかけては、福岡市第一の繁華街である。

貫線(Kan Line or Traverse Line)―2
東の九大前から西の姪浜(めいのはま)まで、福岡市の主要部を東西に貫通する路線は、貫線と通称されている。
(1975-11-1に、九大前―姪浜11.9kmが廃止された。)

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今は無き西日本鉄道/福岡市内線の軌道風景(1959〜1964年)
Past sceneries along Fukuoka Steetcar Lines of Nishi-Nippon Railroad Co.
in between 1959 and 1964.

川端町(かわばたまち)―1959-8-15
土居町、呉服町方向を見たものである。当時は、自動車の通行が少なかった。左手前のビルは、西日本相互銀行(にしぎん)である。

川端町(かわばたまち)―1959-8-15
東中洲、姪浜方向を見たものである。左に川端通商店街が分岐する。
前方の路面が少し盛り上がっている部分は、那珂川に架かる東大橋で、その向こうが繁華街の東中洲である。
橋の向こう、左の大きなビルは、玉屋百貨店である。

©T.O.

川端通商店街―1959-8-15
電車通りから南を見たものである。

©T.O.

©T.O.

東中洲(Higashi Nakasu)
福岡市街の中央を、南北に、那珂川が貫いている。那珂川及びその東側(川端町、呉服町などの側)は、歴史のある港町・商人町の博多である。
那珂川にある2つの中洲が、東中洲と西中洲である。(但し、西中洲は、今は、西岸と地続きになっている。)
那珂川以西は、黒田藩52万石の城下町、福岡である。

©T.O.

東中洲(ひがしなかす)―1959-8-15
県庁前、姪浜方向を見たものである。電車が停まっている所が停留所である。
向こうの方、「日立モートル」の電飾があるビルの先に、西大橋がある。

東中洲(ひがしなかす)―1959-8-15
玉屋百貨店からの眺め。
右手、向こうの大きなビル(朝日ビールの記章がある)には、映画館(日活)がある。
その向こうに西大橋がある。

東中洲(ひがしなかす)―1959-10-3
夜(21時頃)の中洲商店街。なおも、沢山の人がいる。
左の、電車が停まっている所が、西方向行きの停留所である。

東中洲(ひがしなかす)―1964-3-27
西大橋から、東中洲を見たものである。1959年に比べると、自動車の通行が多くなっている。
電車は、7系統博多駅行き.1012B+A(=1000形)である。
1000形は、1954年以降、増備が続けられている連接車である。
福岡市内線の連接車の出力は、38kw×4 で、北九州線の連接車のそれ(45kw×4)よりも、小さい。

東中洲(ひがしなかす)―1959-8-15
西大橋から東中洲を見る。
左の電車は500形、右の電車は200形である。

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東中洲(ひがしなかす)―1963-3-17
西大橋から東中洲を見る。
左のビルには、映画館(日活)がある。

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