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長関線(下関駅前―長府駅前)―1.下関駅前〜西南部
今は無き山陽電気軌道の軌道風景(1959〜1963年)

下関駅前(Shimonosekiekimae)
下関駅は、当初は、西細江停留所の近くにあったが、関門トンネルの開通により、1942-11-19、現在地に移転した。
軌道の方は、1946-12-25に、西細江―下関駅前が開通した。

山陽本線・下関駅―1959-7-26
駅の東口が表口である。駅のコンコースは、高架下を通り抜けて、西口に続いている。
後(2006年)に、この駅舎は、放火で焼失した由である。

国鉄/関門連絡船・下関桟橋―1964-10-31
関門トンネル開通後も、関門連絡船は下関―門司港を結んでいた。
しかし、乗客数の減少により、撮影当日(1964-10-31)限りで、連絡船は廃止された。

私は、1964年4月に、小倉から尼崎に転勤した。
上の写真と乗車券は、会社の後輩のK.M.君が送って呉れたものである。

©T.O.

©K.M.

©K.M.

下関駅前―1963-5-26
大丸百貨店から、望遠(135mm)で撮ったものである。
手前に山陽本線の鉄橋がある。

©T.O.

茶山口(Chayamaguchi)
山側に茶山通りが分岐している。
また、電車通りの山側に平行して、豊前田町(ぶぜんだちょう)商店街がある。

©T.O.

©T.O.

茶山口―1962-7-1
左:下関駅前方向。
右:西細江方向。電車通りは、事務所街である。

豊前田町商店街―1959-4-19
天秤棒を担ぐ人がいる。

西細江(Nishihosoe)
関門トンネル開通前は、ここに、下関駅があった。

©T.O.

©T.O.

西細江(茶山口方向)―1959-9-6
左の映画館(看板:とどけ母の叫び;山田五十鈴主演)の前を左に入った所に、かつての下関駅があった。

西細江(入江口方向)―1962-7-1
右に入った所に、かつての下関駅があった。

©T.O.

入江口(Irieguchi)
山側に入江町が分岐している。

©T.O.

©T.O.

入江口―1962-7-1
左:西細江方向。右に入江町が分岐している。
右:三百目方向。電車は長関線彦島口行きモ301である。

三百目(Sambyakume)
三百目は、岬之町(はなのちょう)または観音崎町の小字名である。

三百目―1962-7-1
左:入江口方向。右に入江町が分岐している。
右:観音崎方向。遠くに九州・門司市の山が見える。

©T.O.

©T.O.

観音崎(Kan-non-zaki)
土地が海に若干張り出している程度で、それほど顕著な岬地形ではない。
かつては、要塞砲台があったという。

観音崎―1962-7-1
左:三百目方向。左の海側には倉庫が並んでいる。
右:西南部方向。遠くに見える山は、下関・火の山である。

©T.O.

©T.O.

西南部(Nishinabe)
これは町名である。(西南部町、東南部町がある。)

西南部(にしなべ)―1962-7-1
左:観音崎方向。左の海側には倉庫が並んでいる。
右:唐戸方向。

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©T.O.

©T.O.