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1998年1月〜1998年12月
■ 1998年11月8日
■QRPp SSBトランシーバ完成へ■
また、1ヶ月程ホームページの更新がとまってしまいました。すみません。 この間、前回の更新時に紹介した「SSBの自作トランシーバー 復刻(写真左側のバラック)」に勤しんでいました。10月はじめから基板の動作確認などを行っていましたが、どうも出力が出ません(設計では150mW〜200mWは出るはず)。マイクアンプ部分の帰還回路のRをかえてみるとかなりパワーは出るようになりましたが、送信立ち上がりでは頭切れを起こし、そしてどうも歪みっぽい。頭を抱えて、何度も基板をひっくり返しては部品を交換してみたりしていました(夜更かしも何度か、、、)。 ある日、IFのキャリア発振を調べるためにRFプローブをふりまわしていたところ、バラックケースにプローブが当たりました。そのとき、かなり大きくメーターが振れたのです。ちょうど送信動作中だったので、「送信波の周り込みか?」と思ったのですが、そのときはマイク音声入力は0。「発振か?」と思いパワーメータを見たら出力0。「????」。手当りしだいRFプローブを基板にあてたところ、送信時の電源ラインにおおきな当たり。 「??、!!!!」 そういえば、バラック組み立て時に送受信切り替えにリレーを入れたのですが、そのリレーが5V用しか手持ちがなく、12Vの回路で使うために、なんとレギュレーターICで電圧を落としていたのです。このICが発振していたとは。定石としてICの入出力端子には0.1マイクロのCは入れていたのですが、バラック内で電源ラインを引き回し、おまけに定電圧電源からもたこ足で分岐したラインをバラックに接続していたのが原因でした。 10日あまり悩んだ結末は、レギュレータICにさらに100マイクロの電解コンデンサを付け加えることで幕となったのです。怪しいと見ていたマイクアンプもはじめの定数でOKでした。つまり、電源ラインの発振がマイクアンプ回路を飽和させていたようです。まあ、解決する時ってこんなものですよね。 その後、これまた7〜8年前に「このケースでトランシーバーを!」とストックしていたケースを使って最終形に仕上げる作業を続け、ようやく今日(11/6)完成となりました。このトランシーバー(写真右側)でSSBのラグチューを聞きながら、この文章を打ち込んでいますが非常に聞きやすくていい感じです。これで、「第*送信機」のリニューアルができましたので、近い内に移動運用で使ってみようと思います。さて、まだまだ自作のネタのストックがいっぱいあります。いよいよつぎは「AM」の送受信機にチャレンジしようと思います!!
■ 1998年10月11日
■QRPp SSBトランシーバ「復活製作」■
9月にロールコール/キー局の代打を務めたのですが、そのときの移動運用装備としてシールドバッテリーを買いました(先のハムフェアで上京時に秋葉原にて。12V 8AHが2700円でした)。で、その充電をおこなうために久々に自作しました。本当に久々にケース加工など機構パーツも吟味して・・ということで「パーツ購入」のため日本橋通い。パーツをひとつひとつ真剣に買うのも久々でした。 その後、ジャンクやパーツの入った押し入れの箱を整理していたところ、いままで買いだめたキットなどの中から「第*送信機」で登録しているSSBのQRPトランシーバーの基板(基板上のパーツは実装済み)を発見。10年以上前に一度動作確認まではすませていたのですが、かっこいいケースに収納しようというところで御蔵入りに。保証認定も得ているのですが一度も交信実績のない「幻の送信機」になっていたのでした。 ということで、この10月はまずバラックでとりあえず「送受信機能」を再度確認し、うまくいけば運用も・・・ということで、休日を利用してなんとか組み上げたのが写真の様子です。送受信は、手持ちのリグを総動員しての荒い調整ですが、まずまずの感じです(若干キャリア漏れがあるのですが、、、。調整前はかなり漏れていてA3H状態でした!) ちょうど11日の夕方、スキャッターを狙った3エリア各局のCQもFBに入感。ニコニコして聞いていました。が、夜にもうちょっと調整したいな−とワッチをすれども、ノイズしか聞こえず。改めて50MHzの日常のアクティビティが下がっているのを実感。今度の土日を期待することにしましょう。 ということで、ここしばらくはSSBのQRPに入れ込み状態に。引き続いてAMの自作ネタもたくさん抱えていますので、来年春まではいろいろ楽しめそうです。
■ 1998年7月12日
■関西ハムの祭典&グランドミーティング■
この約2ヶ月、ホームページの更新が途絶えておりました。この間にアクセスいただいた皆さん、申し訳ありませんでした。 さて、この2ヶ月の間には、Eスポなどのコンディションは上々で、多くのAMでのQSOも成立しております。また、3エリアでは3年目から始まった「関西ハムの祭典」が6月20日〜21日に兵庫県尼崎市で行われ、そのクラブ展示会場では「AMロールコールグループ」としてアイボールQSOはもちろんのこと、情報パンフレット配布やジャンク販売が行われました(わたしも21日少しだけお邪魔してました)。
その展示場所では、今、一部?で話題沸騰の「FCZポケトラ」が4台勢揃いしました。写真左から、JG3ODI製作の13年物(86年に製作 ケースを開けています)、JS1KLS/0製作機、JH2VLO製作の「けろちゃん号」、JE6MWP/3製作の「はろうきてぃ号」です。8月のハムフェアでは全国からポケトラが参集するのでは?と楽しみにしています。 ※FCZポケトラについては、後日製作記事を本ホームページに掲載予定!です おっと、それから大事なイベントも行われています。「関西ハムの祭典」の2日目(21日)の午後に「第14回3エリアAMロールコール・グラウンドミーティング」が開催されました。 ハムの祭典の最中であり、また朝からの激しい雨の中ではありましたが、21名の参加者が会議室に集まり、各エリアの現況報告、JA3AA島さんの50MHzいろいろ話、自己紹介、写真撮影などが行われました。
■ 1998年5月5日
■黄金週間は、大掃除・・・■
ゴールデンウイークの休み中にここ半年程手が付いていなかった、机の周りの片付けをしました(といっても、ほこりをはらって、またもとの場所に物を置いただけ)。ふだんあまり使っていないリグの埃をはらい、電源を入れて送受信を行ってみるという作業だけでも数時間を要してしまいました。左の写真は、そのときの一コマです。 QSLカードの発行も滞っていたので、データベースソフトのレイアウトを駆使してデータ欄のプリントなどにも時間をとってしまいました。 5月4日のAMコンテストは、1986年の開始以来ずっと参加しているのですが、今年は準備不足のため移動運用ができず、常置場所からの参加となりました。参加記録は、TOPICSを御覧ください。
■ 1998年4月5日
■甲山のふもとは、桜が満開!■
この週末、阪神間は絶好の花見日和になりました。西宮市では、夙川(しゅくがわ)の桜が有名ですが、その反面花見客も大変多く、ちょっと喧噪がうっとおしくも感じられます。 その夙川の少し東の丘の上に位置する浄水場がこの時期だけ一般公開されて、ゆっくりと場内の桜を見ることができます。震災のときにこの浄水場も大きな被害を受け場内の様子もずいぶん変わり、以前程の花のにぎわいがなくなってしまったようで「随分かわった、、、」という声がよく聞かれました。 左の写真は、その浄水場から桜の花越しに望む、南大阪A3ロールコールの「本拠地」甲山です。お山のふもとは今、桜が満開です。 (1998/04/05) ※4月第2週なかばの雨とそのあとの初夏のような好天で阪神間の桜は散りそめ状態となり、いつしか芽吹いていた葉っぱの色が目に優しい風景になりつつあります。写真のような風景は来年の4月までお預けです、、、(1998/04/13 追記)
■ 1998年3月15日
■パソコンを入れ替えました!■
このホームページ作成で使っているパソコンを入れ替えました。今まで使っていたパソコンから環境(アプリケーションソフトの再インストールはもちろんのこと、詳細な動作設定や通信関係のツールも再設定、、、おまけにOSも微妙にちがうので手こずりました)の移し替えに時間を使ってしまいました。まだ、全ては済んでいないのですが、、、。 そんなわけで、ロールコール情報も1週間飛ばしてしまいました、申し訳ありません。 ただ、パソコンのパワーは大幅にアップ。ページの更新で使っているAdobe PageMillというソフトが比較的さくさく動くようになりました。デジカメやスキャナーで取り込んだ画像の扱いも楽になりそうです。これで少しはページ更新に力が入れられるか?ですね。
■ 1998年3月1日
■FT-847 見てきました■
日本橋に出かけて、FT−847実機をさわってきました。いやー、小さいですね。デスクトップ機としては、少々操作性に難がありでしょうか。 AMファンとしては、AMモードでの動作を確認したかったのですが、6mの信号は聞こえず(デモ機のANTが未対応か?)。しかたなく中波放送を受信しながらDSPの効き具合などをちょっとだけ体験。DSP無しの状態では受信音の帯域の広さ(クリアさ)が印象的。結構いい音しています。DSPがAMでどのくらい役に立つのか?は判りませんでした・・・。RF−IFフィルタ重視のアイコムか、AF−DSP・帯域可変のヤエス・KENWOODか? 本当は両方そろって、そしてリーズナブルならいいんですが。
■ 1998年2月15日
■長野オリンピックのTV中継■
長野でオリンピックが行われています。選手の活躍を現地でなくても見ることが出来るテレビジョンのすばらしさを、今回は特に感じています。報道に関するシステムはこの大イベントごとに新技術が導入されるとのこと。国内でのリアルタイム放送であることもありますが、画像品質の高さには目を見張るモノがあります。TV画像の記録にもデジタルが当たり前になっているのでしょうね。 オリンピック中継を再生しているテレビ画面から視線を窓の外へ向けると、日差しが力強くなっていることに春を感じます。家の近くにある公民館の庭の梅林もそろそろ見頃になりつつあるようです。
■ 1998年1月18日
■あの1月17日がことしも過ぎました■
なんとしてでも、一周年の3月20日までには、メインコンテンツの【AM Manual】のページを一ページでも多く・・・と思っています。 (もう少しパワーのあるMacintoshが使えると、さくさく文書が作れるのですが、、、) 本年も気長におつき合いください。 (1998/01/18 de JG3ODI)
なんとしてでも、一周年の3月20日までには、メインコンテンツの【AM Manual】のページを一ページでも多く・・・と思っています。 (もう少しパワーのあるMacintoshが使えると、さくさく文書が作れるのですが、、、)
本年も気長におつき合いください。
(1998/01/18 de JG3ODI)
あの1月17日がことしも過ぎました。 3年前の午前5時46分。激しい揺れのあと、パジャマの上に寝床から引き出した毛布を巻き付けて屋外に飛び出し、嘘のように静まり返った闇の中、近所の人と夜を明けるのを待ったことを今でも鮮明に覚えています。ラジオの情報だけでは何が起こっているのか全く判らず。明るくなってから、余震の揺れに肝を冷やしながら、家財道具が転倒して足の踏み場もない部屋の中から服を引き出し着替え、ようやく家の周辺の状況を確認したのが午前8時ごろだったと思います。左の写真は、家の前から走って10秒かからない線路際で撮影した1枚です。阪急電車の路線上にかかった山陽新幹線の橋桁が落下している姿(この橋桁の下を今でも毎日通行しています・・・)。こんな状況下でも17日昼過ぎまでは、ほとんどサイレンの音を聞くことも少なく、淡々と時が過ぎていった事を思い出します(つまり、警察・消防も地震では全く当てにならないということだったわけです)。 この写真を見るたびにあの地震の発生時間があと2時間ずれていたら、、、と考えるとぞっとします。しかし、地震は時間を選んではくれません。阪神・淡路でおこった出来事はどこで起きても不思議ではないし、自分自身も再度同じ事に逢う可能性も無しではありません。この教訓は自分自身、さらには地域社会に浸透させ、生かしていかなくてはいけません。
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[ 文・写真 by JG3ODI ]
(C) Copyright 1999 Hiroya Sugawa E-mail:jg3odi@jarl.com